鰻に近づいた夜

article

仕事が終わってもムカムカがどうにも収まらず、心穏やかでないまま帰路に着く。

この帰り道に読もうと楽しみにしていた『違国日記』の四巻を開く気分にもなれず、だらだらとスマホを眺めて電車に乗っていると、ちょうど閉まったばかりのドア上に最寄駅の名前が見える。これはどっちだ、と迷う間も無くその名前は続く駅の名前へと変わり、僕は電車を乗り過ごしたのであった。

間違った電車に乗ってしまうことは多々あれど、乗り過ごすことなんてほとんどなかったからひどく落ち込む。いっそのこと次の駅で晩飯でも食べてお酒でも飲んでやろうかと思うが、そんなささやかな決意を決め込むテンションにもなれず、早く家に帰りたい思いだけが湧き上がってくるので引き返すことにする。

最寄駅に着き、どうやってこの穏やかならざる心を癒そうかと考えていると、駅前の鰻屋が目に入る。夕飯に三千円くらい使ってしまえば全部がどうでも良くなるかしらと妄想し、その暖簾前までゆっくりと歩くが、結局その勇気も出せずに帰路につき、適当にパスタを作ってお腹を満たす。

気分が上がらない時に何をすれば良いのかわからない。ただ、ここ数年で一番鰻に近づいた夜だった。

article
ランダム記事
数日分の食料と白米に缶ビールをカゴに入れて2、3人が並ぶスーパーの列に並んでいると、視界の片隅に菜の花が入ってくる。 こんなに寒いのに、もう春が近づいているのかと思う。なんとなく心惹かれて一番量の少ないそれを手に取ると、列はぐんぐん進んでいき、急かされるように購入を決意する。 家に帰ると調理方法を調べる。といってもどのサイトも言っていることは大体同じで、一分ばかり茹でて冷水で締めるだけ。その後にだし汁に漬け込むと良いと書いてあったので、白だしを水で薄めたものを用意し、茹で上がった菜の花をその中に浸していく。 ご飯が炊き上がるまでの間、久しぶりにお湯を張った浴槽で冷えた体を温めていると、数年前にスーパーで菜の花を買った時のことが思い出されてくる。 こんなツイートをした。 ほとんど誰にも読まれていないこんなツイートでも、当人は結構覚えているものなのだと驚嘆する。風呂上がりにビールでも飲んでやれ、とニヤニヤしながら体を火照らせていたのだが、ちょっとした暗雲が立ち込めてくる。 グラスにビールを注ぎ、準備した菜の花に醤油を垂らす。数年越しのリベンジマッチだ。以前は苦さの波状攻撃にノックアウトさせられたようだが、そこからもう四年以上が経過している。修行期間なんてものは二年で十分だとワンピースが教えてくれたのだから、かつての軟弱な舌も、今ではその苦さを片手であしらうことができるくらいには成長しているはずだ。 さて、菜の花を一口。 苦い。苦いがその苦味は爽やかさともいうべきもので、白だしの旨味と相まって心地よい美味しさを作り上げている。 OK。ここまではわかっていた。以前だって菜の花が苦くて食べられないと感じたわけではなかろう。問題はその苦味を舌先に保持したまま、ビールの苦味に耐えられるのかということだ。 緊張しながら、よく冷えたビールを手に取りちょっと舐めてみる。 苦い。お互いの苦さが悪い意味で干渉しあっている。 しかし、よく考えればこれは飲み方が悪かった。緊張していたせいでごくごくと喉に流し込まなかったのだから、ビール自体の苦味がきわめて強調されてしまっている。これではいけない。飲み終わった後に鼻先を抜ける麦の甘さと、菜の花の爽やかな苦味をマッチングさせるべきなのだ。 というわけでもう一口。 苦い。全然苦い。組み合わされた苦味が、後を引く苦味へと変貌してしまっている。さっきと全然変わらない。4年ぶりのリベンジマッチ、無念の敗退。 結局前日に作った味の濃い炒め物とご飯を間に挟むことで、菜の花も美味しく食べることができた。やはり僕たちは周りのサポートなければ生きていけない——これは流石に雑な一般化。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

コメント

タイトルとURLをコピーしました