鰻に近づいた夜

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仕事が終わってもムカムカがどうにも収まらず、心穏やかでないまま帰路に着く。

この帰り道に読もうと楽しみにしていた『違国日記』の四巻を開く気分にもなれず、だらだらとスマホを眺めて電車に乗っていると、ちょうど閉まったばかりのドア上に最寄駅の名前が見える。これはどっちだ、と迷う間も無くその名前は続く駅の名前へと変わり、僕は電車を乗り過ごしたのであった。

間違った電車に乗ってしまうことは多々あれど、乗り過ごすことなんてほとんどなかったからひどく落ち込む。いっそのこと次の駅で晩飯でも食べてお酒でも飲んでやろうかと思うが、そんなささやかな決意を決め込むテンションにもなれず、早く家に帰りたい思いだけが湧き上がってくるので引き返すことにする。

最寄駅に着き、どうやってこの穏やかならざる心を癒そうかと考えていると、駅前の鰻屋が目に入る。夕飯に三千円くらい使ってしまえば全部がどうでも良くなるかしらと妄想し、その暖簾前までゆっくりと歩くが、結局その勇気も出せずに帰路につき、適当にパスタを作ってお腹を満たす。

気分が上がらない時に何をすれば良いのかわからない。ただ、ここ数年で一番鰻に近づいた夜だった。

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高校の部活同期と三人で新橋で飲んだ。 野球部の人と会うといつも高校時代の思い出話みたいになるのが常なのだけれど、今回は例外的に自分たちの現在についてのおしゃべりをした気がする。かつての同級生の現在が、このテーブルを囲んで一瞬触れ合った感じがして面白い。 日記を書くときは現在形を使うのが気分なのだが、「○○(ここには人名が入る)と飲む」と書くのには若干の抵抗がある。「○○とお酒を飲みに行く」はいいし、「○○と飲酒する」も許せるのだが、「飲む」とだけ単独で書かれると、曰く言い難いガサツさみたいなものが露出する気がしてあまり気分が良くない。過去形を使うとちょっとマイルドになるので、今回は「飲んだ」と書いてみたのだが、この使い方に対するぼんやりとした嫌悪はなんなのだろう。 もうだいぶ昔、二、三回くらいしかお酒を飲んだことがないときに、人とお酒を飲みに行くのが大人っぽくてかっこよく思え、「呑み?」とラインで返答したことをずっと覚えている。それは僕の記憶の中でもとりわけ恥ずかしい記憶なのだが、なぜ恥ずかしいと思っているのかはいまだよくわからない。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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