鰻に近づいた夜

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仕事が終わってもムカムカがどうにも収まらず、心穏やかでないまま帰路に着く。

この帰り道に読もうと楽しみにしていた『違国日記』の四巻を開く気分にもなれず、だらだらとスマホを眺めて電車に乗っていると、ちょうど閉まったばかりのドア上に最寄駅の名前が見える。これはどっちだ、と迷う間も無くその名前は続く駅の名前へと変わり、僕は電車を乗り過ごしたのであった。

間違った電車に乗ってしまうことは多々あれど、乗り過ごすことなんてほとんどなかったからひどく落ち込む。いっそのこと次の駅で晩飯でも食べてお酒でも飲んでやろうかと思うが、そんなささやかな決意を決め込むテンションにもなれず、早く家に帰りたい思いだけが湧き上がってくるので引き返すことにする。

最寄駅に着き、どうやってこの穏やかならざる心を癒そうかと考えていると、駅前の鰻屋が目に入る。夕飯に三千円くらい使ってしまえば全部がどうでも良くなるかしらと妄想し、その暖簾前までゆっくりと歩くが、結局その勇気も出せずに帰路につき、適当にパスタを作ってお腹を満たす。

気分が上がらない時に何をすれば良いのかわからない。ただ、ここ数年で一番鰻に近づいた夜だった。

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少し前に京都を訪れた際、思い出巡りも兼ねてかつて自分が暮らしていた一乗寺を訪れた。 その帰り、東大路をゆっくりと南に向かって歩く。漫遊堂の前あたりの交差点で信号待ちをしていると、歩道橋があることに気がつく。四年もの間幾度もこの道を往復してきたのに、ほとんど意識することなく通り過ぎていた。 この信号の待ち時間は微々たるもので、正直全く使う理由がない。試してこそいないが、階段を昇り降りしている間に信号は赤から青に変わるだろう。 そう思って写真に撮っていたことを、今日になってふと思い出した。この気づきに結論なんてものはない。歩道橋というものはそれ自体で素晴らしいものなので(その上からトラックに飛び降りることができる!)、別にその存在価値を否定するなんて野暮な真似はしない。 ただ、この歩道橋を生かしきれなかった僕の大学生活は、その無価値さに気が付かなかった時点で一つの負け戦であったような気がする。 京都における僕は一旅行客にすぎない。それゆえにこうしたささやかな発見に心惹かれてしまうのだろう。知らんけど。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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