タルコフスキー『鏡』についての論文を書きました

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京大スラブ専修が発行している「Slavica Kiotoensia」で、タルコフスキー『鏡』についての論文(アンドレイ・タルコフスキー『鏡』試論 ——一人称の映画を目指して——)が公開されています。是非読んでもらえると嬉しいです。感想や批判とかもらえたらもっと嬉しいです。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/286411

どんな論文かは下記(時間あるときに加筆します)。

https://munetadayamaguchi.com/article/253

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コーヒーの粉の分量を測るためのメジャースプーンを持っていないから、ここ二日はなんとなくの分量で淹れるのだが、なかなかどうして薄くなってしまう。ケチなのに突発的に散財してしまうという人間として最も醜い性質を持っているのかもしれない、と朝から暗い方向へと考えが広がっていく。 コーヒーはたくさん飲みたいが、粉を消費するのは嫌だという無意識。スプーンさえあれば適当な分量はわかるから、その無意識を押しやって自分なりの美味しいものを作ることはできる。しかしそうした秤のようなものなしに自分を律することはやはり難しい。まあこれも慣れなのかもしれないが。今日こそ帰りにメジャースプーンを買う。 一人暮らしをすると、どうしても堅実な生活より先に洒落た生活を目指してしまう。掃除機よりプロジェクター、歯ブラシをいれるコップよりプラネタリウム。部屋の一部だけが立派になっていき、そのツケが押し入れの中に詰め込まれていく。これは都市開発の縮図だな、と思う。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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