中華料理屋の良心

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仕事終わりに同僚と夕飯を食べに行こうという話になった。お互い基本的に栄養不足の食事をしているので、わざわざ1000円近く払ってラーメンを食べるなんてアホくさいという話になったが、職場近くは生活を営む場所というより職場の集まりともいうべき場所で、それなりに量がありタンパク質と野菜が十分に摂れる定食を夜に提供するような店が見つからない。

地代も高いのだから仕方がないことは理解できるのだが、ラーメン屋と居酒屋しかないのは不満。というより、ラーメン屋はどういうモデルでこの街で利益を上げているのか気になる。

折衷案として、中華料理屋に入る。店を決めあぐねていると、ある瞬間に選んでいる作業が鬱陶しくなり、ほとんと直感的に入ってしまう感じ。

しかし店内に入った瞬間、「これはやった」と思う。安上がりなご飯を夜に提供する店では明らかにない。外に出ていた定食のメニューは、僕たちを釣るために仕掛けられた罠(ランチ用のメニュー)だったのだ。

メニューを開くと、肉料理とか野菜料理とか全部2000円オーバー。大抵こういうのは値段順に並んでいるが、その一番上段の炒め物が2600円とかする。

しかし席についてしまった以上、間違えましたといって退出するわけにもいかない。そんなことをしていいのは十代までの話だ。というわけで、ささやかな希望とともに次のページをめくる。

麺とご飯もの。庶民の食べ物だ。中華料理屋最後の良心といって良い。

助かった。ここには料理が1200円くらいの値段で並んでいる。当初想定していた予算はオーバーするが、この際仕方がない。

結局五目そばと、チャーハン(と瓶ビールを一本)頼む。ラーメンを避けようとしていたことなどとうに忘れている。生きていくためにはその場その場で臨機応変に対応することが求められるのだ。


まあとても美味しかったです。それに五目そばだけあって、野菜とかイカとかがたくさん入っていてよかった。

たまには写真を撮らなきゃな……

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休日なのに出勤せざるをえず、帰り道無性に虚しい気持ちになったので、最寄駅の書店に立ち寄り小一時間ばかりぶらぶらしていた。 マラマッドの『魔法の樽』、チェーホフの『カシタンカ・ねむい』、カレル・チャペックの『マクロプロスの処方箋』を買った。岩波づくし。今年の一括重版は抜群のラインアップだと思う。 いつも行くタリーズでマラマッドを開く。ずっと『レンブラントの帽子』を積読しているので、それを読み始めるより先に新しい作品を買ってしまったことになる。まあこういうことは日常茶飯事で、先祖返り的に積読を消化することもあるのだからあまり気にしないことにする。 読んだのは「はじめの七年」と「死を悼む人々」の二篇。前者は特に精妙な出来で、時間の取り扱いがうまい。じっくり描写する場面と、勢いの良い省略。細やかな感情の揺れを丁寧に描きつつ、決定的な出来事はさらっと書き流す。素朴な切り返しの中にハッとするようなロングショットが入り込むような感触がある。 技術的に優れた作品を読むと、自分も短編を書きたくなってくる。帰りの夜道にダラダラとそんなことを考えていると、タイトルだけ浮かんだ。 魔法樽を転がして 悪くない題だと思う。でいい気になってぼんやりと冒頭だけ考えたので、ちょっと書いてみようと思う。なんとなく先に一万字という文字数を決めておく。この日記みたいに書くのが一番ストレスなく進む予感がするので、新しい文体を拵えるような準備もしないでいいやと思う。 嘘じゃないんだけど、『魔法の樽』のパクリであることに今気がついた。うーん。転がしてるから許して。記憶が無意識に移行するスピードの速さに驚いてしまう。うとうとしながら別のタイトルを考えよう。 写真を撮る習慣がないので、毎日アイキャッチに困り果ててしまう。というわけでこれは今年の春、神津島に行った時の写真。今のところ学生最後の旅行だったことになる。あとAmazonのリンクがうまく貼れるようになった。ブログ収入で食っていくまであと一歩。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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