『日記の瞬間』という企画を始めました

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最近このサイトで日記を更新できていませんが、新たに立ち上げた『日記の瞬間』という企画の中でちまちまと日記を書いています。

日記の瞬間
『日記の瞬間』は、日々色々な人に日記を書いてもらい、その人が知り合いに日記を依頼することで日記のバトンを繋いでいく試みです。

この企画は、簡単にいうと

「個々人が日記を書く」→「知り合いに依頼する」のサイクルを回し、毎日違う人の日記を更新していく

という試みです。どんな人が日記を書いてくれるのか、運営の僕にもさっぱりわからず楽しいです。

「この人はこういうことを気にするんだ」とか「この人はこんな瞬間を心待ちにしているんだ」とか考えながら読んでいくと、当たり前ですが世界には色々な人がいて、物事に対する捉え方も異なっているんだなあということを改めて実感できます。

まあ単純に毎日違う人の日記が読めるので楽しいので、ぜひ遊びに来てください! 日記を書きたいと思っていたり、運営の手伝いをしたいという人がいたら下記よりお気軽にご連絡ください。

momentsinthediary@gmail.com

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言葉は転がり続け 思いの丈を通り越し うまく伝わるどころか 掛け違いのボタン 困ったな 20歳の頃。 志望する大学に合格せず、孤独を自分勝手に抱え込み、図書館で一人受験勉強をしていた時期があった。家族以外とは誰とも会話せず、Twitterを眺めて悶々とする。かつて同じ場所にいた人間はするすると人生を先に進んでいるようで、彼ら彼女らの姿と自分の現状との落差に情けなさを覚える。 そんな時期に、くるりを聴いた。たくさんの期待、というより妄想とともに。 雨の降る中びしょびしょに濡れたリュックを背負い、市バスに乗り込んでアルバイトに向かう。布団を敷いて寝る準備を整えた瞬間に電話が鳴り、「寝るつもりだったんだけど」と愚痴を吐きながら缶ビールを買って友人宅に自転車を飛ばす。 受験勉強しかすることのない20歳の僕にとって、幾分フィクションめいたこうした想像上の日常の一コマは、あまりにも夢物語であった。そのささやかな妄想を、僕はくるりを聴きながらひとつひとつ濃密なものに変えていく。ある一時期、僕の三分の一くらいはくるりのメロディーとともに夢想の京都に暮らしていたのだ。 先日くるりの主催する京都音楽博覧会に行った。それもあってか、少しの間意味もなく遠ざけていたくるりを再び聴こうと思ったのだが、10月は二曲しか聴いてはならない縛りを勝手につけたことを思い出し、頭の中で演奏を再現したり、人気のない道で小さくメロディーを口ずさんだりしている。 自分で歌を歌ってみると、単に聴く以上にその歌詞が頭の中に滞留するような感覚がある。その中で僕は、『奇跡』という曲の歌詞と再び出会いなおした。 かつては単に京都を代弁する曲であったこの曲の歌詞が(それは僕がテクストをあまりにも自分に引きつけて解釈していたからにすぎないのだが)、今では純粋な言葉となって僕の耳に届く。 僕は今、人とコミュニケーションをとることが苦手なことを改めて痛感している。そのせいで色々なことがうまく前に進まないような感覚を幾度となく覚えているのだけれど、その葛藤とか苦しさみたいなものが、一番好きなはずの曲の歌詞に、こんなにも素直に書き込まれていたことに驚く。 意図や思いが伝わらないこと。僕がこれから取り組むべきことは、誰しもが多少なりとも感じる「伝わらない」という感覚を、伝達という目的を超えた言葉の中で具現していくことなのだろう、と考えたりする。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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