器具の(厳密に)正しい使い方

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もずくスープを飲もうと思い、先日買った電気ケトルでお湯を沸かす。

こんなところまで金かけても仕方ねえよな、と思ってAmazonで安そうなものを適当に選んだ。値段相応の軽さというか薄っぺらさがあるし、前に使っていたT-falのやつと比べると沸くまでに時間がかかるのだが、最低限の機能は果たしているので問題はない。

とはいえこの商品を選んだ理由はあって、それは注ぎ口が細いこと。僕がお湯を沸かす理由の大半はコーヒーを淹れることだが、一般的なケトルからドボドボと注ぐのは品がないし、新しくドリップポットを調達するのも勿体無い(学生時代は持っていたが、おそらく前の住居に置いてきた)。それに電気ケトルからわざわざもう一つの器具を通過するのは洗練された動きとは言い難い。これならば沸かして即ドリッパーに注ぐことができるから、というわけだ。

使ってみると実際便利で、生活の中から一つの動作が消えるだけで、一日が少し長くなったような気がして嬉しい。ミニマリストは、こうした感覚に喜びを見出しているのだろうか。

しかし購入時に使い方を具体的に想像してしまったせいか、コーヒーを淹れる以外の用途で使おうとすると、どこか違和感というか、「間違っている」という感覚を強く覚えてしまう。たとえていうなら、ドライヤーで暖をとっているような感じ。このケトルは、もずくスープのための器具ではない。

そんなことを思ったが、でもお湯を沸かすにはこれを用いるのが簡便だから、結局この湯沸かし機を用いる。generalとspecialの違いというのは、生活器具の中にも確かにあるのだなあ、と考えたりする。じゃあどっちを買うべきなんだと聞かれても困ってしまうのだが。


コーヒー周りの器具の名前がどうも覚えられず、いちいち調べていた。ここ数年、コーヒーサーバー、と聞いてもそれが何なのか即座にはわからない。

うっかりキンミヤ焼酎を買ってしまい、シークワーサーサワーを作って飲んでしまった。昔たまに作っていたけれど、やっぱり美味しい。

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ツナマヨのことをずっと忘れていた。 小学三年から五年までの三年間は甲府で過ごした。父親の転勤を理由に引っ越したのだが、新しく買ったばかりの家が東京にあったから、子供心に長い旅行のような感覚があった。 僕が住んでいたアパートには同じような転勤族の一家が多く、つまりは同世代の子供たちが数多くそこに暮らしていたので、学校とは別に遊ぶ友達がたくさんいた。アパートの前は小さな公園のようになっていて、そこに行けば誰を誘うでもなく、一緒に砂遊びをしたり、蟻と戯れたり、ドッジボールをしたりして日が暮れるまでの時間を退屈することなく送ることができた。 きっかけは忘れたが、毎日のように遊んでいた仲間たちと一緒に、県のドッジボール大会に出ることになった。僕たちの中には野生的に運動ができるTくんもいたし(雨の中壁伝いにアパートの屋上に登っていた!)、小柄ながらも父親譲りの華麗な運動神経を持ったSくんもいたから、結構いいとこまでいけるんじゃないかと思っていた。僕だって並以上には強いボールを投げることができる。それに僕たちは毎日のようにドッジボールをしていたのだ。 大会に出ることが決まってからは、学校の体育館を借りてちょくちょく本格的な練習もした。その過程で僕は小指を骨折し(いつも使っていたソフトバレーボールとは異なるドッジボール用の硬いボールを使っていたのだ)、それでも大会に出たいと整形外科で号泣、ギブスに包帯をぐるぐる巻いて最強の助っ人よろしく出場が許されたのだった。 そうして迎えた大会の日。対戦相手はツナマヨネーズのCチーム。県下に名を轟かせていた強豪とはいえ、相手は三軍である。 しかし練習の段階でもうレベルが違うのだ。僕たちは個の力でもって相手を倒そうとする。早い球が投げられる人にボールを集め、全力投球。当たるか外れるか、それとも取られるかは個人の球の質次第といったところ。 しかしツナマヨは違う。テンポ良く素早いパスを僕たちの間隙に投げ込み続ける。内外野問わず、ボールの離れが早い。そうして反転する際に体勢を崩した選手の手足を的確に狙い、確実に仕留める。 完敗。 大会後、僕たちはツナマヨをほとんど悪の組織であるかのように捉えるようになった。僕たちは素人で、ツナマヨはプロ。ドッジボールを楽しむ僕たちと、厳しく訓練された坊主頭のゴリゴリ集団(多分坊主の人などいなかったが)。 そんなふうにツナマヨを思っていたことも、甲府で過ごした楽しい三年間のことも、ずっと忘れていた。 彼ら彼女らがツナマヨと名乗っていなかったら、この記憶は一生掘り返されることなく眠っていただろうことを思うと、その名付け親には感謝したい。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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