酔っ払った人間の下着は清潔

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昨日サボってしまったのに今日もサボってしまうと二日も日記をサボってしまったことになるので、22時を朝であると強弁することで昨日のことをあれこれ。とはいえそこそこ酔っ払っており、しかも傍には新しく作ったシークワーサーサワーがあるものだから、昨日と今日の区別なんてあんまりつかないかもしれない。


昼から川崎へ。友人と立ち上げようとしているユニット(?)のWebサイトについて話し合いかつ作業。素人作業ではあるが、かろうじて公開できそうなサイトの外観はできた。まあこういうのは次第にリッチにしていけばいいだろう。ともかく、自分で面白がれるような作品を、他人にちゃんと届けることだけを意識していきたい。己の恥ずかしさを吐露するだけでも、マーケティング的な戦略を取るだけでもいけない。そうした二つの極の間で、今の自分がどちらに寄っているかを常に考えること。まあそんなことが大事なような気がする。

帰り道に、ユニクロで翌日履くためのパンツを買う。今の家には洗濯機がなく、コインランドリーに行かなければならないのだが、数百円かけて洗濯を外でやるにはまだ洗濯物はそれほど溜まっていないから、総合的に考えてそちらの方が安上がりだと判断したのだ。

もちろんこれは言い訳。翌日のパンツ問題を解決する、最もとっつきやすい方法が新しいパンツの購入であったまで。こういう思考だから、いつまで経ってもお金はたまらないのだろう。

しかし誰よりも僕の下着は清潔。


やはり酔っ払っていたので、悪文駄文だが、まあ。

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その言い回しを使いたくがないために異なる語彙を探し、ぽっかりと空いたその間隙に種々の言葉を当てはめてはみるものの結局適当な言葉が見つかることもなく、不快感だけを覚えたまま疲れ切ってしまうことがある。 例えば「変数」という言い回し。それはおそらくただ「未確定であること」を名指すために文脈の中に差し込まれているのであろうが、そこに含意される浅はかな数学ないし数字への信奉は、その意味が極めて単純な語彙で説明されるものであるがゆえに、ひどく陳腐なはりぼての様相を呈しているように思われる。 あるいは「理論的には」なる形容。そこに体系だった「理論」などいささかも垣間見えることはなく、ただ2+2程度の計算によって一意に定まる解答のことを指してその言葉が使われているのを目にすると、高々数十年前に「理論以後」との言葉を掲げて人口に膾炙した「実証的」なるものの成れの果てが今まさに眼前にあることに気が付き屈折した高揚を覚えることになる。 しかしそうした語彙をどれほど憎んでいようと、結局僕が放置した言葉の空白は適当な言葉で埋められることもなく、「理論的には」とできうる限り小さく呟いてお茶を濁すことしかできない。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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