もう傘はなくさない

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目が覚めたら部屋の中はどんよりとした灰色で、朝にならぬうちに起きてしまったのかと思う。しかし外から聞こえてくる雨の気配がその理由だと気づき、慌てて体を起こすと、家を出る時間までもう三十分とそこらしかない。慌てて日記を書き、コーヒーを淹れ、適当な服を着て準備を整える。忘れ物はないかとポケットをパタパタと叩き、靴を履いて玄関の扉を開ける。

傘がない。

細かい雨が地面に打ち付けるしとやかな音と、屋根の上で膨らんだ雨粒がぴちゃぴちゃと立てる収まりの悪い音を聞きながら、そういえばこの前雨が降った日、帰りには雨が上がっていて、そのまま傘を職場に置いてきたことを思い出す。エレベーターに乗り込んだ瞬間傘を忘れていることに気がついたくせに、まあいっかといつもの楽天さでもって引き返さなかった過去の自分を恨むも、雨が止むことも傘が戻ってくることもない。

雨はそんなに強いわけでもなく、このまま傘をささず、アメリカ映画の探偵よろしくコートの襟を立てて職場に向かってやろうかとも考えたが、その行為が似合うほどの頑強な筋肉も黒塗りの車も持ち合わせておらず、ただ貧相ななりをした男がびしょびしょに濡れたまま満員電車に乗り込む姿は滑稽に思え、近所のコンビニで折り畳み傘を購入して仕事へと向かうことにする。それが思いの外高額で、ならばちょっと洒落た傘を買う未来もあったのだと考えるとちょっと落ち込んでしまった。

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仕事帰りの電車に乗ると、僕の近くでスーツを着た新入社員らしき女性が四人ばかりで立ち話をしている。全員が若々しい、というより初々しい感じがするのはなぜなのだろうと考えていると、互いを伺い合うようなその会話もさることながら、彼女らが皆向き合って——ということはつまり円形になって——いることがその理由ではないかと思う。 ある程度の歳を越えると、二人以上で電車に乗る人の数はぐんと減るような印象がある。それに複数人であっても、その陣形は直線が主流で、酔っ払った顔で吊革を掴んであれこれと仕事の話をする場合が多い気がする。電車の中で集団が確固たる集団として一つの会話を形成するような事態は、やはり学生によるものが多い。 だからそういういかにも学生らしき集団が、皆スーツを着ていることが面白いのだ。ある属性を象徴する衣服であるスーツを身に纏っていながら、スーツを着ている人がおよそしないであろう行動をしているとき、そこに見出されるのが初々しさというものなのだろう。それはあくまで全面的に肯定されるべきだ。日々の労働に忙殺され、規範とのズレ=初々しさが失われたとき、人は「つまらない大人になってしまった」と呟くのである。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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