どうすればよいのだろう

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なんとか記事を書き上げて公開まで持っていくことができた。絶対読んでくれ。

堀江敏幸「送り火」 不必要な引用【第1回】
しかし、とりわけ絹代さんを惹きつけたのは、教室全体に染みいりはじめた独特の匂いだった。子どもたちはみな帰省の墨汁を使っており、時間をかけて墨を磨るのは陽平先生だけだったけれど、七、八人の子どもが何枚も下書きし、よさそうなものを脇にひろげた新...

とはいえこれは僕の記憶を僕の趣味に従って書いたまでのもので、一体誰が読むんだ、という思いを抱かずにはいられない。僕は自分という一人称しか書くことができないのかもしれない。それはつまらないことだ。

ターゲットを絞って云々、みたいなことをしたいわけではないが、もうちょっと半径を大きくするというか、ちゃんと他者が読んで面白いものを書きたいという気持ちがある。それに僕は元々私小説がそんなに好きじゃなかったはずだ。

もっと文章で遊んでいきたい。ちょっぴり反感を持っているものを、そこまでしなくてもいいくらいにコテンパンにしていったり。まあ色々考えてみる(こういう口ぶりで、ちゃんとものを考えた試しはないのだけれど)。


まあ必要悪ということで、基本的なSEOとかの勉強はすべきなのかもしれない。嫌だけど。表現として自立すること、それだけは忘れずに悪戦苦闘していく。

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風邪気味だったので、自宅でリモート。仕事外の時間が結構あったので、自分自身を反省していた。 自分に不足している能力は、主に人を誘う力と勉強する力だ、という結論に至る。前者は言うまでもない。かなり親しい友人を食事に誘うのすら緊張して、スマホで文章を書いたり消したりしていると簡単に数十分が過ぎてしまう。「ちょっと暇だからさ」と電話をかけたりしたい。 後者について。 正直僕はそんなに勉強が苦手ではない。けれども勉強が下手くそだ。下手くそとはどういうことかというと、何かを身につけるために計画を立てて一つ一つノルマを達成する能力の欠如を意味している。 今考えると本当に馬鹿みたいなのだけれど、受験生の頃、僕は問題集の解説を読んだことがほとんどない。ただ問題を解いて、まるばつをつけるだけ。解けなかった問題はとりあえずチェックだけつけておいて放置。二、三週間くらい経った後に改めて解いてみて、解けたら丸をつけ、解けなかったら改めてチェックをつける。 その期間も別に解説を読んだり、講師の話をちゃんと聞いたりするわけではない。だから同じ問題を解いたところで、誤りのポイントが全く同じだったりする。 でも何の奇跡か、数ヶ月くらい経つと問題が解けるようになっていることがある。その奇跡を寄せ集めることで、かろうじて僕は受験に終止符を打ったわけだが、このささやかな成功体験が僕の成熟を阻害していたことは想像に難くない。 これが勉強する力の欠如、というわけだ。僕にはこれは個人的な性質であるように思える。しかしそうも言っていられないし、この弱点を克服したいと思っている。だからここでこの問題についてもうちょっと考えてみる。 計画を立てるということは、数列を克服したい、といったような比較的抽象度の高い目標に対して、○○の問題を集中的に解くこという具体的なアプローチを考えることだ。それはとある具体物を、応用可能なサンプルとして認識することともいえる。 しかしよく考えてみると、これはこれで結構難しい問題だ。鮭と秋刀魚を捌いていたら、鯛も鯖も捌けるようになった、というのはわかる。しかし鮭と秋刀魚を捌いていたら、鮪も捌けるようになった、というのはどうだろうか。ましてや熊も捌けるようになった人間がいたら、そいつはもはや少年漫画のキャラクターだろう。 鮭を捌く能力は、鮪を捌く能力に直結しない。鮭を捌くことができるということは、比較的小さな魚なら捌くことができるという抽象的な能力の具体例なのだ。 これは当たり前のことに思える。しかし本当にそうだろうか。鮭も鮪も「魚」というカテゴリーでは共通しているのだし、熊だって「動物」と範囲を拡張すればカテゴリーミスにはならない。ここに存するのは「能力」という概念に紐づいた、事後的に構築されたカテゴリーの一致である。 このカテゴリーを把握することが、勉強の巧拙を決定づけるのだと結論づけてみたい。どんな能力を身につけたいのか。それを整理することは、その目的のサイズ感を把握することにほかならない。そしてその枠内に収まる具体的な問題を解くことで、僕たちは何らかの能力を身につけるのである。 と、日記なのにガバガバ論述をかましてしまったわけだが、案外これは今後の僕に実践的なヒントを与えてくれるように思えるのでよしとしたい。日記なので許して。 「制作中」を主題にして、今後は色々な制作を行っていきたい。結論急ぎの論述も、「制作中」であることを理由にして完成物として扱っていく。そうした途上の制作物を組み合わせることで、完成とか完璧とかいう言葉を揺るがしていくのが目的である。 今日はそんなことをあれこれ書いた起草文のようなものを書いたりもした。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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