エプロンを畳めない

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職場の人とジンギスカン屋に行く。

そこではこんもりとした山型の鉄鍋に羊肉ともやしが載っているタイプのジンギスカンではなく、鉄網で羊肉を焼いていくスタイルの料理が提供されている。まあそれは焼肉というほかない料理で、ちょっと癖のある脂の旨みが香ばしく口内を満たしていくのが楽しい。

結構ガヤガヤとした居酒屋の雰囲気で、複数人で行くことを想定された店のつくり。その店内で端の方の席にひとりで座る三十歳くらいの女性がいる。油はね防止の紙エプロンを真っ直ぐに身につけ、一枚一枚丁寧に肉を焼いていく姿は凛としていて美しい。背筋を伸ばしてベストな状態に焼き上がった羊肉を玩味する彼女の耳には、だんだんと声の大きくなっていく僕たちや他の客の会話が聞こえているのだろうと思うと、僕はふとした瞬間に恥ずかしさというか情けなさを感じてしまう。

ひとりの人間の正しさに、集団は何をしても勝てやしない。でもお酒が入っていくにつれてそんな認識はどんどん薄れてしまい、結局僕は職場の人というグループの中で、集団であるがゆえの正しさみたいなものを身に纏っていき、ある種の傲慢さでもって振る舞うようになってしまう。

気がつけば彼女の姿はもうない。おそらくはエプロンを畳んで店を出たのだろう。そんなことを勝手に想像しながら、彼女に張り合うため僕も退店時にエプロンを綺麗に四つ折りにしてやろうと決意をしたのだが、その薄い紙の記憶はいつからか綺麗さっぱりなくなってしまっている。

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しかし、とりわけ絹代さんを惹きつけたのは、教室全体に染みいりはじめた独特の匂いだった。子どもたちはみな帰省の墨汁を使っており、時間をかけて墨を磨るのは陽平先生だけだったけれど、七、八人の子どもが何枚も下書きし、よさそうなものを脇にひろげた新聞紙のうえで乾かしていると、夏場はともかく、窓を閉め切った冬場などは乾いた墨と湿った墨が微妙に混じりあい、甘やかなのになぜか命の絶えた生き物を連想させるその不気味な匂いがつよくなり、絹代さんの記憶を過去に引き戻した。まだ小さかったころ、ここにも生き物がうごめいていたのだ。 「送り火」(『雪沼とその周辺』所収) 人よりも大学受験のために費やした時間が多いくせに、計画というものを全く立てなかったせいで、ほとんど手付かずのまま放置してしまった分野がある。 その一方で、不必要なほど繰り返し取り組んだ分野も存在する。その中の一つが、センター試験の国語、その中でも特に現代文の問題だった。 試験時間は砂時計の時間 僕は一年目の浪人生活をお茶の水の駿台予備学校で過ごした。そこには井龍秀徳(理由はわからないが今では増田重治と名乗っているらしい)という化学の人気講師がいて、わかりやすく面白い講義を行っていた。苦手だった化学が多少なりともできるようになったのはこの授業のおかげだったと言って良いと思う。 その授業の中で、彼は時折自らの受験にまつわるエピソードを話した。それらはほとんど再現不可能なまでの激烈なもので、例えば試験が近づいた頃の生活について、彼は次のように語る。 まずは自室のカーテンを締め、外界からの光を遮断する。部屋の時計を外し、世界の時間から自らを切り離す。そうした作り上げた地下牢のごとき一室で、片手にシャーペン、もう一方の手でストップウォッチを握りしめながら、絶えず時間を測って過去問を繰り返し解き続ける。 ほとんど狂気の沙汰だ。経過とともに減り続けるだけの、砂時計のごとき時間が流れる空間の記憶。しかし彼はその過去を、まるで微笑ましい記憶の一つであるかのように、柔和な顔立ちそのままに私たちに呈示するのだった。 ↓ その他のエピソードは以下サイトに詳しい。ここに書かれている記事を読みすぎて、受験勉強が疎かになった経験を持つ駿台生は多いはず。 正直そんなエピソードを聞いても、そこそこ真面目な普通の浪人生にすぎない僕にとって、特段何かの役に立つわけではない。だから僕はそれらをある種の与太話として——つまり浪人時にサボってしまい人生を持ち崩した人間のエピソードと同じようなものとして——消費し、自分には自分なりの努力というものがあるのだと納得していた。 しかしそうした彼のエピソードの中に、僕にも実践できるものが一つあった。センター試験の国語で満点を取った勉強法。 といっても、何か工夫が施されたものではない。過去問を繰り返し解き、試験時間の4分の1くらいの時間で解けるまで訓練をする。愚直な努力だ。しかしそこまでやり込むと、もはや問題文を読まずとも、答えの選択肢が光って見えるようになるという。 単体で取り出してみると、その勉強法は僕にも手が届く程度の努力であるように思えた。何より僕はこのような信仰めいたアドバイスが大の好物だった。安易にテクニックに逃げないその姿勢からは、受験生としての正しさを真摯に守り続けているような潔さがほの見えるような気がしたのだ。 それで僕は、英語とか理科とか社会とかの勉強を放棄して、25年分の過去問が載っているあの分厚い赤本を何周もすることになる(ほかに数学の勉強だけはちゃんとやった)。解説なんてろくに読まず、ただ文章を読んで選択肢をマークするだけの勉強。それが学力の向上に役立ったのか、いまだに僕はよくわからない。 ゆるい時間の向こう側に 前置きが長くなった。ともかくそういうわけもあって、僕は長い受験勉強の中で、幾度も同じ文章を読み、同じ問題を同じように間違い続けた。その中で出会ったのが、堀江敏幸の「送り火」という作品だった。 問題文として切り取られた断片は、かつての大女優(田中絹代のこと。当時と僕はその名前を知らなかった)と同じ名前を持つ女性が、実家の一室を貸した年配の温厚な男性と婚約するというものだった。取り立てて面白い話だとは思わなかったが、息の長い文章で綴られたその言葉の響きに、散文のもつ色気のようなものを感じたことを覚えている。句点で断ち切られてもおかしくない意味の切れ目が単純な接続詞で連結され、まるで長回しのような効果をもたらしている。 品のいい文章だと思った。何かに苛々とした時にはその問題文を読み、穏やかな心を取り戻したりもした。退屈であるくせに何かに急き立てられているような感覚を覚えていた僕にとって、この散文はある種の逃避場として機能していた。 ある日のこと、図書館での勉強に飽き飽きしていた僕は、曖昧な記憶を頼りにして(その時僕は赤本を持ってきていなかった)、ひと月ほど前に何度目かの再読を果たした断片の全体をとうとう把握してやろうと席を立った。現代小説の棚を物色すると、すぐにその本は見つかった。堀江敏幸の『雪沼とその周辺』。僕が探していた小説は、その短編集所収の一編であるらしい。 今と変わらず見栄っ張りで、受験勉強をサボっているやつだと思われたくなかったから、自席には戻らず、立ったまま読み進めていく。穏やかな口調で語る主人公の夫の言葉に、あの問題文と同じ緩やかな時間を感じる。井龍先生の語った、あの消費されるだけの時間とは全く異なる、水面を漂うような穏やかな時間。どうせ僕はあれほどストイックになどなれやしないのだから、この膨張していくような時間を受け入れてしまおう。急かされるような時間とはおさらばしよう。そんなことを考えながら、僕は受験勉強のことを忘れ、文章の中に身体を投げ出す。 しかしその平穏だったはずの文章は、すぐさま不吉な趣を漂わせることになる。 「夏休みの、あいだくらいは、いいじゃないか。台風で、停電になったとき、そういうときに、使ってやったらさ、子どもらは、喜ぶよ。ぜんぶと言わず、ひとつ、ふたつ。たとえば、の話だがね」  子どもたちといっても、彼らの、ではない。二階で開いている書道教室に通ってくる、近所の小中学生たちのことだ。絹代さんと陽平さんは、この夏のはじめにひとり息子の十三回忌を済ませたばかりだった。 唐突に呈示される「死」。そう、この短編は、息子の死をまだ引き受けることのできない主人公が、甘やかな過去の記憶の中を漂流する物語であったのだ。 読み終えて気がついたことだが、この小説は冒頭に書かれた現在を最後に、それ以降は全て回想として描かれる。つまりあの緩やかに感じられた小説の時間は本来、息子の不在を前提として読まれるはずのものなのだ。そして僕は気がつく。問題文として引用された中にも、確かに死の匂いが染み付いていたということに。 結局僕はこの年、大学受験に失敗する。それはその当時の曖昧な立ち位置——テクストに書き込まれている「死」を感じ取れるほどにはゆるい時間に溺れることもできず、しかしそれでも砂時計の時間を拒絶しようと駄々をこねるような——に起因したものなのかもしれない。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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