昼寝の才

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昼寝には自信がある。といっても職場で寝る度胸はないから、帰りの電車が現在の代替物だ。

東京駅から中央線に乗るから、帰りの電車はほぼ間違いなく座ることができる。お茶の水くらいまでスマホをいじり、四ツ谷との間でリュックサックから本を取り出し朝読んだ続きを眺めていると、新宿までの間には意識が朦朧としてくる。人差し指を栞がわりにして目を閉じ、窓ガラスに後頭部を預け目を閉じる。最近はヴェルベット・アンダーグラウンドアンドニコのアルバムを聴いていることが多い。アンディ・ウォーホルのバナナのイラストがジャケットのやつ。

昼寝がうまいというのは、絶対に15分で目が覚めるという僕の特殊技能のことを指している。時刻はいつであれ、その眠りを昼寝と規定したからには、僕はうっかり寝過ぎることがほとんどない。

だから僕はいつも、荻窪で目が覚める。だからなんだという話だが、本当にいつも荻窪で起きるのだ。もちろん今日もそう。だからなんだという話だ。繰り返しになるが。


ブログ用のアイキャッチを作りたいが、平日はあまり時間がないので明日からの土日で作ってみようと思う。毎日体裁の整っていない写真ばかり載っけていると、安っぽいような気がする。やはりちゃんとしなければならない。

なんとなくエルミタージュ美術館の写真を選んだ。またロシアに行きたい。次行けるのはいつになるだろうか。ロシア語の勉強も続けていきたいが、なかなか捗らない。有り余る時間が恋しい。

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いつもは通らない待ち時間の長い信号で、疾走するトラックの立てる轟音を聞いて、地面がじりじりと振動するのを感じながらひたすらに待つ。 自転車に乗る大学生と思しき四、五人の集団が、ただ一人の歩行者に合わせてゆっくりとよろめきながら近づいてくる。灰色めいたオレンジ色のジャンパーを着た六十歳くらいの男性が、斜めに視線を上げて晴れた空を眺めやっている。制服を着た女子高生のローファーが立てる小気味よい足音が心地良い。 みんな僕の知らない人たちで、今後も関わりを持つことはないだろう。そんな僕たちが広い道路の前で、ひたすらに赤く光り続ける信号機に留められてじっと静止している。 何だか感傷的になっていることを自覚しつつ、確かに信号が青になったことを確認して道路を横断する。僕の前には誰もいない。どうやら歩行者の先頭を任せられているらしい。しかし酔いが回っているせいか、三分の一ばかり進んだところで、まだ赤信号なのではないかという嫌な予感がして、ふと後ろを振り返ると、ついさっき勝手な連帯を覚えた十人ばかりの人たちが僕について歩いている。 もしまだ赤信号だったら責任重大だなと思う。でも振り返って前を向き、ちょっと視線を上げれば青い光が点滅もせずに光っていて、僕はほっと胸を撫で下ろす。 渡り終わって、家の前まで歩いている途中で、彼ら彼女らは僕を信頼して歩いたわけではないことに気がつく。さっさと風呂に入って寝よう。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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