昼寝の才

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昼寝には自信がある。といっても職場で寝る度胸はないから、帰りの電車が現在の代替物だ。

東京駅から中央線に乗るから、帰りの電車はほぼ間違いなく座ることができる。お茶の水くらいまでスマホをいじり、四ツ谷との間でリュックサックから本を取り出し朝読んだ続きを眺めていると、新宿までの間には意識が朦朧としてくる。人差し指を栞がわりにして目を閉じ、窓ガラスに後頭部を預け目を閉じる。最近はヴェルベット・アンダーグラウンドアンドニコのアルバムを聴いていることが多い。アンディ・ウォーホルのバナナのイラストがジャケットのやつ。

昼寝がうまいというのは、絶対に15分で目が覚めるという僕の特殊技能のことを指している。時刻はいつであれ、その眠りを昼寝と規定したからには、僕はうっかり寝過ぎることがほとんどない。

だから僕はいつも、荻窪で目が覚める。だからなんだという話だが、本当にいつも荻窪で起きるのだ。もちろん今日もそう。だからなんだという話だ。繰り返しになるが。


ブログ用のアイキャッチを作りたいが、平日はあまり時間がないので明日からの土日で作ってみようと思う。毎日体裁の整っていない写真ばかり載っけていると、安っぽいような気がする。やはりちゃんとしなければならない。

なんとなくエルミタージュ美術館の写真を選んだ。またロシアに行きたい。次行けるのはいつになるだろうか。ロシア語の勉強も続けていきたいが、なかなか捗らない。有り余る時間が恋しい。

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いつも通り仕事終わりに最寄りのタリーズで作業をする。寝不足でもちゃんと椅子に座ってパソコンを睨み付けることができるようになったのは、自分の中でも結構大きな変化だ。 思えば学生生活の半分以上は、布団の上で寝転がっていた。リサイクルショップで買った二千円くらいの椅子は背もたれが高すぎて首を後ろにそらすことが出来ず、身体の上半身が常に痛む僕にとってはあまり好ましくない代物だった。というより、その椅子に座るのは苦行だった。社会人になって一日中座っていなければならないことを思うと、暗澹たる気分になった。 それによく考えれば、三回生くらいまで部屋に椅子らしい椅子がなかった。食パンの形をした座椅子と、こたつ机があるだけ。どうしても座りたくなった時は、ベランダに出てエアコンの室外機に腰を下ろすか、便器にお尻をのせて汚れたドアの裏側をじっと見つめるしかなかった。だから通販で安い机を買い、部屋に椅子を導入したときはこれで生産性が千倍くらいになるものだと信じて疑わなかった。 まあそういうわけで、僕は大学の五年間のほとんどを、一枚の汚れた布団の上で過ごしたのだ。最初の方は定期的に干したりもしていたけれど、最後の方は年がら年中部屋の中で僕の汗を吸い込むばかり。随分と申し訳ないことをしたと思う。 そんな布団を、僕は京都を去るときに何の感慨も持たないまま、ゴミ袋に入れて捨てた。45リットルの黄色い袋はパンパンに膨れ上がり、袋を縛るために僕はポリエチレンの紐のような箇所を2倍くらいに引き伸ばした。収集場所に運ぶ途中で袋ははち切れてしまった。あれが僕と布団との最後の対面だったことを思うと、何だかやはり申し訳ない気持ちになる。 寝たきりになるまで、あんなに布団と戯れる時期はもうやってこないのだと思う。どんな高級なマットレスを買おうと、僕はそいつと大人の関係を結ぶほかない。さよなら布団、さよなら僕の退屈な日常。 名古屋で出会ったアメ横の写真。この建物が何の建物であるかは知らない。調べたらわかることを、あえて調べないのもたまには悪くない。日常生活に写真が不足している。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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