昼寝の才

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昼寝には自信がある。といっても職場で寝る度胸はないから、帰りの電車が現在の代替物だ。

東京駅から中央線に乗るから、帰りの電車はほぼ間違いなく座ることができる。お茶の水くらいまでスマホをいじり、四ツ谷との間でリュックサックから本を取り出し朝読んだ続きを眺めていると、新宿までの間には意識が朦朧としてくる。人差し指を栞がわりにして目を閉じ、窓ガラスに後頭部を預け目を閉じる。最近はヴェルベット・アンダーグラウンドアンドニコのアルバムを聴いていることが多い。アンディ・ウォーホルのバナナのイラストがジャケットのやつ。

昼寝がうまいというのは、絶対に15分で目が覚めるという僕の特殊技能のことを指している。時刻はいつであれ、その眠りを昼寝と規定したからには、僕はうっかり寝過ぎることがほとんどない。

だから僕はいつも、荻窪で目が覚める。だからなんだという話だが、本当にいつも荻窪で起きるのだ。もちろん今日もそう。だからなんだという話だ。繰り返しになるが。


ブログ用のアイキャッチを作りたいが、平日はあまり時間がないので明日からの土日で作ってみようと思う。毎日体裁の整っていない写真ばかり載っけていると、安っぽいような気がする。やはりちゃんとしなければならない。

なんとなくエルミタージュ美術館の写真を選んだ。またロシアに行きたい。次行けるのはいつになるだろうか。ロシア語の勉強も続けていきたいが、なかなか捗らない。有り余る時間が恋しい。

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どうしてももう帰路につかねばならない時間になり、最後の抵抗をやめて友人とともにトボトボとバス停へと向かい、京都駅へと向かう206番のバスを待つ。 マルシン飯店に並ぶ十数人を視界の片隅におさめながら、明日からの労働やら東京での生活やらを思ってひどく憂鬱な気分になる。気持ちをリフレッシュしようと京都にやってきたのに、京都での生活がまだ続いているような錯覚を抱いてしまって辛くなる。 すぐにバスがやってきてしまう。やはりこの三日間は幻想だったのかと悲しい気持ちを抱きながら、バスに乗り込もうと一歩踏みだす。 しかしよく見ると、目の前で停止しているその大きな車は、何やら二桁の番号を背負っている。行き先は上賀茂神社。どうやらこのバスは四条あたりで南下を切り上げて、再び北へと引き返してくる予定らしい。 このまま間違ったバスに乗ってしまおうか。ふとそんな誘惑が脳裏に去来する。絶対に東京に戻れない時間に上賀茂あたりでポツンと取り残されて、色々なことを放り投げて京都で暮らしてしまおうか。その方が楽しい生活を送れるはず——。 でも僕にはそんな勇気などない。「危なかった」と、さもこのバスに乗らなかったことが正しいことであるかのように口走り、続いてすぐやってくる206番を待ってしまう。マルシンに並ぶ列に、動いた形跡はない。 東大路通を疾走するバスの車窓から、この窓越しにしか見たことのない幾つもの景色を眺め、さっきの選択は本当に正しかったのかと訝しんでいると、ふと明日の仕事のことが思い出されてしまい、いつの間にか僕は東京にいる。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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