タルコフスキーにおける空間性——心理的二重性?——

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これは僕が大学3回生の頃、研究室に配属されてはじめてゼミ発表をしたときの資料。タルコフスキーが対象。

これは本当に破綻としか言いようがなくて、そのくせ文体だけは格好つけているので限りなく恥部晒しなのだけれど、面白いから公開してみます。

↓卒論とかについて。

卒論とか諸々の話。タルコフスキーについて。
8月中頃からずっと修正し続けていた論文を書き終えた。卒論を改稿したもので、査読に回したのが6月末。卒論を書いていたのが去年で、その元となる発表をゼミでしたのが2020年の夏前だ。つまり僕は3年に渡って、同じ作家の同じ作品について考えていたこ...

空間性ってほんと何。ちょっと読んでられん。苦し紛れにフロレンスキイを引っ張ってきたんだなあ。まあ懐かしい。

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諸々紛失事件から数日が経ち、現代人として辛うじて生きていけるくらいには生活を取り戻したので、しばらくお休みしていた日記を復活させる。 カウリスマキの『過去のない男』を見た。暴漢に襲われ記憶喪失になった男の物語。 過去の記憶なんて失われたままでいい。汚いコンテナを磨き上げ、ジューク・ボックスと小さな机を配置してささやかな晩餐会場に仕立て上げる彼の姿を見ていると、そこには一切の絶望を排した純度100%の希望があるような気がする。 生活を取り戻すのではなく、手探りで新しい人生を始めていくこと。カウリスマキにとって、過去は未来への希望に制限をかけるようなものなのかもしれない。過去の記憶なんて、失われてしまった方がいい。 映画を自分に引きつけて受容するなんて野暮だと思っていたけれど、財布とスマホを失くし、ほとんど社会生活から引き離されてしまった僕にとって、こんなにドンピシャな映画を引き当てたのはある種の奇跡だと思う。 しかしカウリスマキの希望に達するには、僕の失ったものはあまりに些細なものでありすぎる。これではまだ生活を取り戻そうとしてしまう。2年くらい前にひどく落ち込んだ時に、その落ち込みが極限を迎えた数分後には結構明るい気持ちになっていて、まだ絶望が足りないのかと落ち込んだことを思い出す。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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