走馬灯の気分は伝染する

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夕飯も風呂も歯磨きも全て終えてあとは寝るだけの状況を作ってベッドの上で寝転んで本を読んでいると、台所上に設置された蛍光灯がつけっぱなしになっていることに気がつく。こういうところから節約の意識を高めていかなければならないと思うが、珍しくもせっかく読書に集中できているので立ち上がる気が起こらない。

しかしそのことに気がついてしまったが最後、文章を追う僕の目は滑るばかり。こうも簡単に集中が途切れてしまう僕の散漫癖に辟易としながらも、とはいえ横臥の姿勢を崩すのはやはり面倒で、ついつい手元にあるスマホをいじってしまう。

こうなってしまったら読書は諦めて眠りにつくのが一番だが、とはいえ立ち上がって電気を消す必要がある。とりあえずスマホを充電ケーブルに差し込み、目覚ましをセットする。白々しく光る蛍光灯のをじっと眺めやりながら、ありもしない尿意を捏造して立ち上がる理由を拵える。

今まで散々電気を無駄遣いしてきたなと思う。今みたいに「立ち上がるのがめんどくさい」ならまだわかるが、ひどい時には「紐に手を伸ばすのがめんどくさい」という理由で何時間も明かりを消さなかったこともある。怠慢な自分を変えていくには、日常生活の些細な細部を決別の儀式とみなして行動するほかないだろう。

そんなことをだらだらと考えていると、鈍いうめき声のような音が聞こえてくる。音はただちに水滴がポトリと落ちるような可愛らしい響きへと変わり、その小気味良いリズムに導かれて向けられた視線の先で、蛍光灯が点滅していた。

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杖みたいに長いごぼうが春の食材として売っていたので、思い切って買ってみる。洗いごぼうである。 綺麗に洗われたその根菜は、日焼けした皮膚のようにも見える。実際に手に取ってみると思っていた以上に固く、これが食材であるとは到底思えない。チャンバラでもしてみたいような気持ちになる。 笹掻きにして最近よく作っている豚のあんかけに混ぜ込んでみると、ほんのりと香る土臭さが心地よい。下手くそな包丁さばきのせいで、一部のやけに分厚く切られたごぼうが生煮えになっているが、まあそれくらいは許そうと思う。 最近はこんな風にこれまで調理したことのない食材を買うのが楽しい。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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