走馬灯の気分は伝染する

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夕飯も風呂も歯磨きも全て終えてあとは寝るだけの状況を作ってベッドの上で寝転んで本を読んでいると、台所上に設置された蛍光灯がつけっぱなしになっていることに気がつく。こういうところから節約の意識を高めていかなければならないと思うが、珍しくもせっかく読書に集中できているので立ち上がる気が起こらない。

しかしそのことに気がついてしまったが最後、文章を追う僕の目は滑るばかり。こうも簡単に集中が途切れてしまう僕の散漫癖に辟易としながらも、とはいえ横臥の姿勢を崩すのはやはり面倒で、ついつい手元にあるスマホをいじってしまう。

こうなってしまったら読書は諦めて眠りにつくのが一番だが、とはいえ立ち上がって電気を消す必要がある。とりあえずスマホを充電ケーブルに差し込み、目覚ましをセットする。白々しく光る蛍光灯のをじっと眺めやりながら、ありもしない尿意を捏造して立ち上がる理由を拵える。

今まで散々電気を無駄遣いしてきたなと思う。今みたいに「立ち上がるのがめんどくさい」ならまだわかるが、ひどい時には「紐に手を伸ばすのがめんどくさい」という理由で何時間も明かりを消さなかったこともある。怠慢な自分を変えていくには、日常生活の些細な細部を決別の儀式とみなして行動するほかないだろう。

そんなことをだらだらと考えていると、鈍いうめき声のような音が聞こえてくる。音はただちに水滴がポトリと落ちるような可愛らしい響きへと変わり、その小気味良いリズムに導かれて向けられた視線の先で、蛍光灯が点滅していた。

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色々と作業をしているうちに気がついたら24時くらいになっている。シャワーを浴びるのもめんどくさいと思い、そのままベッドに寝転んで電気を消すが、なぜだか覚醒してしまって眠れない。知り合いのXを遡り、眠れないとの呟きを見て勝手に共感したりしながら時間を溶かしてみるが、暗闇の中で冴えきった頭はその働きを止めることがない。 ちょっと身体がベタついていて、その不快さが眠気がやってくるのを阻害しているのだと思う。こういう時に無理に眠ろうとしても苦しいだけだし、なんとか眠れたとしても苦しい夢を見て汗をびっしょり掻くだけだと知っているので、とりあえずシャワーを浴びてしまうのが良い。でも電気をつける気力も湧いてこないし、ましてやシャワーを浴びるために立ち上がるなんて尚更だ。 元々睡眠には自信があるというか、いつでもどこでも寝られるのが一つの売りだったので、「眠れない」みたいな話を聞くたびにちょっとした憧れのようなものを覚えていた。「眠れない」ことは忙しさであったり、悩みの深さを示すしるしのようなもので、僕みたいに楽観的でほとんど何も考えていない人間には持ちえない充実の代償のように思ったりもした。 でも実際に眠れないとなると、それが十数分そこらであってもひどく焦ってしまうものだ。色々な思念が輪郭を持たずに渦巻き、消えることなくざわざわと耳障りな音を立てる。それが外で降る雨の音と混じり合って増幅していく。これは結構苦しい。誰かが語る「眠れない」ことをある種の自慢と捉えていた自分を大いに反省する。 結局電気をつけてちょっと本を読み、ものすごいスピードでシャワーを浴びて、さらにもうちょっと本を読んでいると心地よい眠気がやってきた。なんでこれが早い時間にできなかったのだろうと後悔するのも何回目だろう。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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