騒がしさは消えない

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MIYASHITA PARKの中に渋谷横丁というフードコートがあって、ちょっとその横を歩いてみる。きれいになった上野というか、画一化されたゴタゴタみたいな趣のある一帯。23時近くだったので閉店準備を進めているお店が多く、飲み会終わりの記念写真を撮っている人たちがたくさんいた。

無数の声が潰れて雑音と化す騒がしさの中で、ふと「死んだ人間の臭いを嗅いでみたい」という言葉が聞こえてくる。驚いて振り返ってみると、どちらかというと静かに飲んでいる男たちの一人が発言したらしい。立ち止まってその会話を聞いてみたかったが、それはあまりに不審だから歩みを止めることはできない。酔っ払いが集まる空間は不思議な言葉で溢れているものだと思う。

横丁の入り口では、まだ未成年くらいの若い男たちが戯れあっている。その彼らに対して「渋谷区は禁煙です」と絶えず繰り返す声を差し向ける大人の姿。その奥はスーツを着た男が倒れ込んで、地面に顔を埋めていた。空間自体は規格化されていようとも結局人が集まればゴタゴタとした混沌がやってくるのだと思うと、世界は捨てたものではないと思う。

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言葉は転がり続け 思いの丈を通り越し うまく伝わるどころか 掛け違いのボタン 困ったな 20歳の頃。 志望する大学に合格せず、孤独を自分勝手に抱え込み、図書館で一人受験勉強をしていた時期があった。家族以外とは誰とも会話せず、Twitterを眺めて悶々とする。かつて同じ場所にいた人間はするすると人生を先に進んでいるようで、彼ら彼女らの姿と自分の現状との落差に情けなさを覚える。 そんな時期に、くるりを聴いた。たくさんの期待、というより妄想とともに。 雨の降る中びしょびしょに濡れたリュックを背負い、市バスに乗り込んでアルバイトに向かう。布団を敷いて寝る準備を整えた瞬間に電話が鳴り、「寝るつもりだったんだけど」と愚痴を吐きながら缶ビールを買って友人宅に自転車を飛ばす。 受験勉強しかすることのない20歳の僕にとって、幾分フィクションめいたこうした想像上の日常の一コマは、あまりにも夢物語であった。そのささやかな妄想を、僕はくるりを聴きながらひとつひとつ濃密なものに変えていく。ある一時期、僕の三分の一くらいはくるりのメロディーとともに夢想の京都に暮らしていたのだ。 先日くるりの主催する京都音楽博覧会に行った。それもあってか、少しの間意味もなく遠ざけていたくるりを再び聴こうと思ったのだが、10月は二曲しか聴いてはならない縛りを勝手につけたことを思い出し、頭の中で演奏を再現したり、人気のない道で小さくメロディーを口ずさんだりしている。 自分で歌を歌ってみると、単に聴く以上にその歌詞が頭の中に滞留するような感覚がある。その中で僕は、『奇跡』という曲の歌詞と再び出会いなおした。 かつては単に京都を代弁する曲であったこの曲の歌詞が(それは僕がテクストをあまりにも自分に引きつけて解釈していたからにすぎないのだが)、今では純粋な言葉となって僕の耳に届く。 僕は今、人とコミュニケーションをとることが苦手なことを改めて痛感している。そのせいで色々なことがうまく前に進まないような感覚を幾度となく覚えているのだけれど、その葛藤とか苦しさみたいなものが、一番好きなはずの曲の歌詞に、こんなにも素直に書き込まれていたことに驚く。 意図や思いが伝わらないこと。僕がこれから取り組むべきことは、誰しもが多少なりとも感じる「伝わらない」という感覚を、伝達という目的を超えた言葉の中で具現していくことなのだろう、と考えたりする。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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