日記しか勝たん

article

「一日サボるとそれが癖になるよ」

こういうことは小さい頃から母親によく言われていて、素振りとか進研ゼミとかをサボってしまうたびに都度母親の顔が浮かんでいた。

ただ、大学に入って数年は継続的な努力を求められる場に身を置かなかったこともあり、無軌道な毎日を(この言い回しは悪いことに身を落とした人間みたいだけど、そういうわけではなくただの怠惰)送っていた。朝起きて、さて今日は何をしようかと決める感じの毎日。まあそういうのも良くないよね、と四回生の初めくらいにふと思って、じゃあ毎日物書きでもしようか、と自分で自分に枷をかけてみたのがもう数年前のことになる。

その延長線上でここ数ヶ月日記を書いていたのだけれど、本当に冒頭の言葉通り、一日サボるとサボることに対する罪悪感が薄まってしまう。その反動で、ふと思い立った時にものすごく面白いものを書こうと力んでしまうから、短い時間で仕上げるという最初に決めた継続のコツみたいなものを忘却して、結局完成しないゴミの山が蓄積していく。

まあ現状こんな感じで、とても良くない。何が良くないかって、罪悪感は薄まっているのだけれど、確かにそれは存在するということだ。日々処理できない悪い物質が体の中に溜まっていくような感覚で、いつかこれが大きな鬱を引き起こすような気がしてとても怖い。

というわけで、リハビリも兼ねて、日記を中途半端で切り上げることにする。

まあどっちにしろ、色々と力んで書かなければならないものが出来そうなので、日記はあくまで軽やかにやろうと思います。

article
ランダム記事
電車でゲルツェンというロシアの思想家の本を読んでいると、隣に六十歳くらいの男性が座ってくる。使い古されたリュックサックを膝の上に置いて、その中から分厚い本を取り出す。帆布のブックカバーで覆われたその本は、どうやら古い本らしく一つひとつの文字の密度も小さい。 他人の本を一瞥して再び読書に戻るも、五分くらいで心地よい眠気に襲われる。本当はここで一眠りできると幸せなのだが、もうあと数駅で乗り換えの駅に着いてしまうので、頑張ってこの眠気を追いやろうとあたりをちらちらと眺めやる。すると先ほどチラと見た隣に座る男性の本の中に「チェルヌイシェフスキー」なる文字があることに気がつく。 チェルヌイシェフスキーはロシアの思想家・小説家である。獄中で書いた『何をなすべきか』という本で、来るべき理想の社会主義世界を描き、それは同世代の、また後続の世代のロシア人に多大なる影響を与えた。 とはいえチェルヌイシェフスキーなる名前は、現代の日本でよく知られているわけではない。まさか山手線でその名前をお見かけするとは思っておらず、ただただ驚いてしまう。たまたま僕の隣に座った人が、どうやらロシアの社会主義(それも革命前の)を読んでいる……! 気になってしまい、もはや隠そうともせず隣人の本を読んでいると、予想通りというべきかそこにはゲルツェンの名前も登場する。山手線でたまたま並んで座った二人が、たまたまゲルツェンに関する本を読んでいる——これは奇跡と言っても言い過ぎではないと思う。 少し前に読んだ掌編を思い出した。アメリカの人々が語るごくごく小さな物語を集めた『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』所収の一編。 兎を飼っている友人の家を訪れた男が、思いつきで「もしこの兎が電気のコードを噛んで感電死したら教えてくれ」と呟く。その兎を夕食として調理したいという悪趣味な冗談だ。 しばらく経って、鉛筆を探しに席を立った友人が奇妙な顔で戻ってくる。本当に兎が感電死したのだという。そして友人は次のように言う。 「あなた、気づいているかしら」と彼女は言った。「あなた、さっきどんな願いでもかけられたってこと?」 「どういう意味?」 「さっき。兎を持って帰って夕食に料理するって言ったときよ」と彼女は言った。「さっきそういう可能性を口にしたでしょ。あれってべつに、兎じゃなくても、百万ドルでも何でもよかったのよ。何を願っても、あなたはそれを手に入れられたのよ。何を願っても、必ず願いが叶う、そう言う瞬間だったのよ」
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

コメント

タイトルとURLをコピーしました