日記しか勝たん

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「一日サボるとそれが癖になるよ」

こういうことは小さい頃から母親によく言われていて、素振りとか進研ゼミとかをサボってしまうたびに都度母親の顔が浮かんでいた。

ただ、大学に入って数年は継続的な努力を求められる場に身を置かなかったこともあり、無軌道な毎日を(この言い回しは悪いことに身を落とした人間みたいだけど、そういうわけではなくただの怠惰)送っていた。朝起きて、さて今日は何をしようかと決める感じの毎日。まあそういうのも良くないよね、と四回生の初めくらいにふと思って、じゃあ毎日物書きでもしようか、と自分で自分に枷をかけてみたのがもう数年前のことになる。

その延長線上でここ数ヶ月日記を書いていたのだけれど、本当に冒頭の言葉通り、一日サボるとサボることに対する罪悪感が薄まってしまう。その反動で、ふと思い立った時にものすごく面白いものを書こうと力んでしまうから、短い時間で仕上げるという最初に決めた継続のコツみたいなものを忘却して、結局完成しないゴミの山が蓄積していく。

まあ現状こんな感じで、とても良くない。何が良くないかって、罪悪感は薄まっているのだけれど、確かにそれは存在するということだ。日々処理できない悪い物質が体の中に溜まっていくような感覚で、いつかこれが大きな鬱を引き起こすような気がしてとても怖い。

というわけで、リハビリも兼ねて、日記を中途半端で切り上げることにする。

まあどっちにしろ、色々と力んで書かなければならないものが出来そうなので、日記はあくまで軽やかにやろうと思います。

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正月だからと特別な理由を拵えるまでなく、おそらくはただ休日であるからという理由で朝寝坊をしてしまう。もしかすると昨晩飲んだヤクルト1000が効いているのかもしれないが、別に統計的なデータなどとっていないので、その確かな理由など探りようもない。 この休みの間に書きたいものがたくさんあるので、昼過ぎになったら家を出て実家近くのタリーズで作業をしようと思う。そんなことを考えながら実家のソファーでゆっくりと食休みをしていると、妹が大富豪をやりたいという。前日に祖母宅でやったのがどうやら楽しかったらしい。 それが案外盛り上がってしまい、結局家を出るのは夕方になってしまう。まあ正月だからいいかとも思うが、この言い訳は一般に言われる「正月」の範囲を大きく飛び越えてなお言い訳として機能しうることを経験的に知っているから、ここらでやめにしようと誓う。 駅前のタリーズに向かう。その道すがら、傾斜のきつい坂道の前を通りかかると、まだ今年一度も開いてはいないだろう美容院の前に5kgの白米が落ちている。「置いている」のではなく「落ちている」と言いたくなるような無造作な配置に、この背後にはどのような理由が隠されているのかを知りたいと思うが、そんなことわかるよしもない。数粒ならともかく、一袋ごと落として気づかないことがあろうか。しかしそれなりに人通りのある道の端に生米を置く理由など思い至らない。 米を落とす。 これまで何度となく食事中に炊き立ての白米を箸や口の隙間から落としてきたのだが、それは常に「ご飯を落とす」とのみ呼ばれるような事態で、「米を落とす」という単語の結合にはついぞ出会ったことがないような気がする。おそらく新年だからと理由づける必要もなく、これは2024年に起こる物事の中でも鮮明な記憶としてその先の年月に持ち越されるものであることを確信する。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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