少しずつ幼児期を越えていく

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朝、コーヒーを淹れて専用の水筒に注ぎ入れ、それをちびちびと飲みながら日記を書いたり作業をしたりする。いつもよりだいぶ早く起きたので色々と進んで嬉しい。

しかしどうもおかしい。コーヒーを一口飲むたびに、ポタポタと雫になってその液体が落ちていく。幸い真っ白なTシャツを着ていたわけではなかったので大きな損害こそ出なかったが、そんなに口元が緩んでいるのかと自分の幼児性を疑ったりする。僕には見えない水の流れがワジのように連なっているのかと考えて、水筒をざっと拭いてみるも、やはり飲むたびにコーヒーがこぼれ落ちていく。

二十滴ばかりコーヒーを無駄にしてようやく気がついたのは、水筒の先にあるゴム部分が緩んでいるということ。本体とその先端の間にできた隙間が、僕の唇と水筒の設置面の手前でコーヒーを排出するようになっている。ネジを締めるようにしてそのゴム部分を水筒にくっつけると、もうコーヒーはこぼれてこない。幼児ならば気づかなかったはずの問題を解決する僕は優れて大人である。

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高校の部活同期と三人で新橋で飲んだ。 野球部の人と会うといつも高校時代の思い出話みたいになるのが常なのだけれど、今回は例外的に自分たちの現在についてのおしゃべりをした気がする。かつての同級生の現在が、このテーブルを囲んで一瞬触れ合った感じがして面白い。 日記を書くときは現在形を使うのが気分なのだが、「○○(ここには人名が入る)と飲む」と書くのには若干の抵抗がある。「○○とお酒を飲みに行く」はいいし、「○○と飲酒する」も許せるのだが、「飲む」とだけ単独で書かれると、曰く言い難いガサツさみたいなものが露出する気がしてあまり気分が良くない。過去形を使うとちょっとマイルドになるので、今回は「飲んだ」と書いてみたのだが、この使い方に対するぼんやりとした嫌悪はなんなのだろう。 もうだいぶ昔、二、三回くらいしかお酒を飲んだことがないときに、人とお酒を飲みに行くのが大人っぽくてかっこよく思え、「呑み?」とラインで返答したことをずっと覚えている。それは僕の記憶の中でもとりわけ恥ずかしい記憶なのだが、なぜ恥ずかしいと思っているのかはいまだよくわからない。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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