黄身トロとキスシーンに騙されてはいけない

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大学の頃の友人と上野でお酒を飲んだ。予想していた通りかなり混雑していて、十八時過ぎに行ったのだがメインの通りにあるお店はほとんどが満席で入れない。それでちょっと裏に行って適当な焼トン屋に入ると、そのお店がかなり良かった。

焼きたての串は香ばしくてお酒が進むし、サイドメニューにある牛すじのトマト煮込みはとろとろのビーフシチューのようで美味しい。ビールも安く、店員の接客もテキパキとしていて気持ちがいい。土曜夜の忙しさが、投げやりな「こなす」動作に堕することなく、部活のような爽やかさへと昇華している。飲食店が世の中で最も過酷な仕事であると信じて疑わないのだが、それがこうもエネルギッシュな運動として展開されるのはすごいと思う。なかなかこういう風に仕事をすることはできない。


なんの気無しに頼んだシーザーサラダに温泉卵のようなものが載っていて、ずっと考えてきた問題——ローストビーフを紹介する食レポで、さんざんその肉質やら加熱の仕方のこだわりを見せてきたのに、いざ実食という段になってその肉の上に乗った生卵を割る瞬間に焦点が当てられるとき覚えるような違和感——がふと思い出され、そのことについてあれこれと喋った記憶がある(サラダは美味しかった)。せっかくその料理の良さについてあれこれ述べてきたくせに、最終的に黄身トロが全てを持っていってしまうのはどうなのか。

それはラストシーンで主人公とヒロインがキスをして「はいこれで満足でしょ」と思わせてくる映画と似ている。それ以前がよかろうと悪かろうと、ちょっとロマンティックなラストがあれば観客は納得すると思われているのか。

そんなことなら食レポは生卵をご飯の上に乗せその黄身が割れる瞬間をカメラに収めれば十分だし、映画は延々とキスシーンだけを垂れ流していればいい。

まあこんなくだらない話を延々にした。かなり楽しかった。

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一昨日のことなのだけれど、高校の友人と一緒に宅間孝行が主宰する劇団(というより演劇プロジェクト?)の舞台を見に行った。演目は『晩餐』。初演は2013年で、それ以来再演されることがなかったというから、きっちり十年ぶりに演じられたということになる。 2075年。母親を早くに亡くし頑固親父の男手一人で育てられた息子が、その父の死後、タイムスリップを行い結婚前の両親に会いにいく。そこで父親が生涯隠していた家族の秘密を知る物語。60歳を超えた息子を演じるのは主宰の宅間孝行、30歳くらいの過去の父親を演じるのは永井大。 2015年。僕がまだ坊主頭の高校三年生だった頃、文化祭の出し物としてこの劇をクラスでやった。 僕たちがその頃参照していたのは、2013年版の『晩餐』。当時息子を演じていたのは中村梅雀で、父親を演じていたのは宅間孝行。 多分坊主の垂れ目だったことが理由で、僕はその息子役を演じることになった。部活を引退してからの二ヶ月弱、受験勉強なんてものを放り投げ、蒸し暑い渡り廊下で毎日のように声を出していたことを思い出す。 あ、え、い、う、え、お、あ、お。近くで演劇の練習をしている人がいるとよく聞こえるこの発声練習にも、いまだにちょっとした親近感を覚えてしまう。今考えると、練習をしていたのは高々二ヶ月なのに。 10年くらいの時間で、かつて30歳だった父親は60歳の息子になり、坊主頭の高校生は髪の長い労働者になった。フィクションを素朴に受け止めていた高校生は、いくらかの見方を習得して少しばかり批判が多くなった。連続する時間の中でじりじりと少しずつ変化が生じたことを疑いはしないのだけれど、言葉だけ取り出してしまえばここにあるのは何だか小さな断絶であるような気がしてしまう。 そういえば昨日で十日間にわたる熊野寮祭も終わりらしい。僕の人生に少なからず関係があったあれこれの場所での出来事が、何だか僕の青春の終わりを告げているような気がしていて、ひどく寂しい気持ちになってしまう。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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