泣いたふりでも悲しかったりする

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洗濯機の配送時間が16時〜18時であったこともあり、絶妙に外出する気にならず、ちょっとスーパーに行ったくらいでほとんど一日中引きこもっていた。午後に何をしていたかの記憶があまりない。

日が暮れ始めた時間に洗濯機が届く。自力で設置作業を行い、試運転を行なってみると、排水からじわじわと水が漏れ出してくる。ちょっとでも目を離していたら結構やばかった。

前日に見たリューベン・オストルンドの『ザ・スクエア 思いやりの聖域』がかなり良かったので、前作の『フレンチアルプスで起きたこと』を試聴。前者ほどショットの精度が高いわけでもないし、脚本レベルでの緊張感も抑え気味だが、結構良い。ただ、彼の作品は「男らしさとは何か」みたいなテーマがかなり明示的な形で設定されていて、それを説教くささとして捉える向きはあると思う。

寝る前に『アメリカン・ビューティ』も鑑賞。超有名作だし、勝手に軽いラブコメだと思っていたら、全然違った。別に難しい話ではないのだが、何かを語ろうとすると、何かを語り損ねてしまうような重層性(これは複雑さとは違う)がある気がした。


一人で号泣するほどに悲しいことがあり、その気持ちを相手に伝えたいのだが、しかし相手の前では涙が自然に溢れるようなこともなく、泣き真似のようになってしまう、みたいな状況について。

映画を見ていて、ふとそんなシーンを思い浮かべたので記録。

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電車に乗り込むとやけに熱く見つめ合う男女がいたので思わずたじろいでしまい、二人から少し離れた場所に陣をとって本を読む。 金曜日だから本当は映画でも見に行きたかったが、飲酒のせいか前夜はあまりぐっすりと眠れたわけでなく、上映中にうつらうつらする予感がしたのでそのまま帰ることを決める。まあそもそも今はWordPressの改修に熱中しているから、映画を見る気分ではないというのもある。 随分と楽しく(ゆっくりと)読んできた蓮實重彦の『夏目漱石論』だが、今日はなぜだか文章が頭に入ってこない。多分疲れているのだろう。数行読んだだけで読書を断念し、本をコートのポケットに突っ込むとチラチラと周囲を観察する。 視線を横に向けると、背の高い男性が斜め下に真っ直ぐに視線を向けている。その向かいには、男性の視線と一致する角度で斜め上を眺める女性の姿。両者の視線は全くブレることなく、ほとんど完全な直線を描いて空間に固定されている。 この二人は見つめあっているわけではなかった。たまたま向かい合った男女がスマホを眺める視線が一致したというだけなのだ。見下ろすようにしてスマホの画面に集中する男と、スマホを掲げてその画面を凝視する女性。何せ二人はお互いの目を見ているわけではないのだから、恥ずかしい思いなど抱くこともなく、ただ二台の精密機器を介して視線の一致が仮構されているにすぎない。 気が向いた人はこの日記をPCで見てください。面白いよ。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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