泣いたふりでも悲しかったりする

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洗濯機の配送時間が16時〜18時であったこともあり、絶妙に外出する気にならず、ちょっとスーパーに行ったくらいでほとんど一日中引きこもっていた。午後に何をしていたかの記憶があまりない。

日が暮れ始めた時間に洗濯機が届く。自力で設置作業を行い、試運転を行なってみると、排水からじわじわと水が漏れ出してくる。ちょっとでも目を離していたら結構やばかった。

前日に見たリューベン・オストルンドの『ザ・スクエア 思いやりの聖域』がかなり良かったので、前作の『フレンチアルプスで起きたこと』を試聴。前者ほどショットの精度が高いわけでもないし、脚本レベルでの緊張感も抑え気味だが、結構良い。ただ、彼の作品は「男らしさとは何か」みたいなテーマがかなり明示的な形で設定されていて、それを説教くささとして捉える向きはあると思う。

寝る前に『アメリカン・ビューティ』も鑑賞。超有名作だし、勝手に軽いラブコメだと思っていたら、全然違った。別に難しい話ではないのだが、何かを語ろうとすると、何かを語り損ねてしまうような重層性(これは複雑さとは違う)がある気がした。


一人で号泣するほどに悲しいことがあり、その気持ちを相手に伝えたいのだが、しかし相手の前では涙が自然に溢れるようなこともなく、泣き真似のようになってしまう、みたいな状況について。

映画を見ていて、ふとそんなシーンを思い浮かべたので記録。

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だいぶ充実した休日だったので、朝日記を書く時間が取れなかった。 と、最初から内容をまとめ始めているのは、今日もあまり時間がないからだ。いつもより数十分遅れて起床。前夜風呂に入り損ねたので、慌ててシャワーを浴びた。しかも今日はいつもより30分前に出社しなければならない。ご飯も炊いていないし、まったく生活のルーティーンが崩れてしまっている。 ↓昨日の日記。 9時半くらいに起きる。9時からベルクソンの読書会ということになっていたのだが、案の定寝坊をしてしまい、10時半くらいから開始。一年かけて読んできた『物質と記憶』が、あと20ページくらいで読み終わるところまできた。一文一文音読しながらじっくりと読み進めていたので、ついにここまできたかと思うと感慨深い。 午後は柄谷の『力と交換様式』の読書会。こちらも半年近く読んでいるのだが、いまだに議論の進め方がどうもよくわからない。段落単位での理解は容易いのに、それらが各章の中でどのような位置付けなのかが掴みにくい。もっと大きくいえば、全体を通してこの本がなんの本であるのか、端的に言葉を用意することが難しい。それは僕が柄谷に慣れていないからなのか、それともそもそもこの本の構成がそうなのか。 読書会を終えると、大学時代の友人が家に来るとのことなのでちょっと掃除。まあ過去に何度も僕の散らかった部屋を訪れたことがあるので、それほど気にすることはないのかもしれないが、仮にも僕は労働者だし、新居が既に散らかっていたという話を吹聴されるのも嬉しくないので、簡単に箒でフローリングを履き、クイックルワイパーで拭き掃除を行う。 友人がやってくると、一時間くらい部屋でグダグダとする。急に寒くなったので、慌てて購入した電気ストーブはまだ到着しておらず、泣く泣くエアコンで暖房をつける。 近くのもつ鍋屋に。出来立てほやほや、というよりプレオープンらしいその店は、まだGoogleマップにも載っていないのだが、結構美味しかった。また誰か行きましょう。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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