寒さに慣れる(ふりをする)

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仕事終わりには結構雪が降っていた。この冬にちゃんと目にした雪はこれが初めてだ。風も強く、ちょっとした吹雪だなと思ったが、「こんなもの雪が降ったうちには入らないよ」だとか「これで吹雪と思ってるとか笑える」とか言ってくる脳内の雪国人が馬鹿にする声が聞こえてくるので、駅から家に帰るまでの道中、シャリシャリと雪の混じった水たまりに足を突っ込もうとも意に介せず、いつもより背筋を伸ばして余裕綽々の表情を取り繕いながら大股で歩く。家に着くや否や浴槽にお湯を張り、それを待つ間ブルブルと震える僕の体を電気ストーブで温めていたら、どうにもその場から離れられなくなり、お湯が少し溢れ出してしまった。

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その言い回しを使いたくがないために異なる語彙を探し、ぽっかりと空いたその間隙に種々の言葉を当てはめてはみるものの結局適当な言葉が見つかることもなく、不快感だけを覚えたまま疲れ切ってしまうことがある。 例えば「変数」という言い回し。それはおそらくただ「未確定であること」を名指すために文脈の中に差し込まれているのであろうが、そこに含意される浅はかな数学ないし数字への信奉は、その意味が極めて単純な語彙で説明されるものであるがゆえに、ひどく陳腐なはりぼての様相を呈しているように思われる。 あるいは「理論的には」なる形容。そこに体系だった「理論」などいささかも垣間見えることはなく、ただ2+2程度の計算によって一意に定まる解答のことを指してその言葉が使われているのを目にすると、高々数十年前に「理論以後」との言葉を掲げて人口に膾炙した「実証的」なるものの成れの果てが今まさに眼前にあることに気が付き屈折した高揚を覚えることになる。 しかしそうした語彙をどれほど憎んでいようと、結局僕が放置した言葉の空白は適当な言葉で埋められることもなく、「理論的には」とできうる限り小さく呟いてお茶を濁すことしかできない。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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