須藤健太郎さんの『作家主義以後』を読んでいます

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元旦だが、いつもと変わりのない時間に一人暮らしの部屋で9時ごろ起床。11時に祖母の家を訪れる約束だったが、流しに昨年の食器類が洗われることなく放置してあるので、皿洗いを済ませてから部屋を出ると、結局着く時間は12時くらいになってしまう。

レトルトカレーを食べたあの食器は、確かにその汚れを付着させたまま年を越えたのだと考えると、それも意味ありげな気がしてしまうが、別にそこに大きな意味が隠されているわけもない。ただそう言葉にしてみると、平凡な(それも怠惰な)日常が特別な意味を帯びてくるようで面白い。まあそんなことは屁理屈以前の戯言であり、自分の怠け癖をそうした言葉で覆い隠していくのは流石にもうやめにしようと思う。

電車の中で、年末に買った須藤健太郎さんの『作家主義以後』を読む。「映画批評を再定義する」と副題に示されているこの書物は、各論としてそれぞれ別個の作品に対する批評を取りまとめたものであるのだが、そこに通底しているのは、ある細部(それは往々にして「シーン」という単位に分節化されたものだ)を徹底的に分析することで作品の構造を描き出そうとする著者の意図であるように思われる。

ペドロ・コスタの『ヴィタリナ』の分析で(残念ながら僕はこの作品を見ていない)、映画の終盤に置かれた美しいショットをそれに先立つショットの切り返しとして分析する批評が面白かった。著者の記述はある明確な結論を指し示すべく書かれたものというよりも、切り口だけを設定して一歩一歩地道に進んでいくような印象で、幾度も「もう一度考えてみよう」と議論をぶった切っていくスタイルに、言いようもない爽快さを覚えたものだ。論理的であるということは、いうまでもなくわかりやすいことを意味しない。

まあまだ半分も読めていないので、感想とかを書ける段階にはない。ただ著者の関心が、あるショットが作品の中でどのような意味を持っているのかという問いに貫かれているような気がして嬉しかった。それは僕の関心とかなり近いような感じがあり、その関心に対する理論的な裏付けがどのようなものであるのかを聞いてみたいと思う。


また、この本にはキネマ旬報に書かれていた外国映画レビューのまとめが載っている。僕が自分で見たことのある作品についてのレビューを探していると、その数があまりに少ないことに気が付く。新作を見ないのはよくない。今年はもっと映画館に行こうと思う。

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最近少しタイピングが早くなってきた。ブラインドタッチのほんの手前くらい。 とはいっても、完全に自己流で、ホームポジションなど意識したこともない。そのせいなのかはわからないが、日本語入力の「、」と「。」と「・」をよく押し間違えてしまうし、oとpの位置も曖昧にしか把握していない。 しかしキーボードをほとんど見ずにタイピングができるのが、こんなにも気持ちの良いことだとは思いもしなかった。その気持ちよさが、文章を書く運動をドライブさせてくれるような感覚もある。 ここらで一回、自己流から離れてある種の規範に身を置くべきか。型破りになるためには、型を知らなければならない。擦られすぎて陳腐と化したその文句に素直に従うのも悪くはないのかもしれない。 ところで、向井秀徳という男がいる。ナンバーガールとZAZEN BOYSのフロントマンで、福岡市博多区からやってきたおもしろおじさん。焼酎とメガネの似合う、ジャキジャキとしたギターを鳴らすバンドマンだ。 日記はどうでもいいから、この曲を聴いてほしい。 大学に入った頃くらいから、僕は彼のことがものすごく好きになり、その振る舞いを模倣しようとしていた。会話というものをコミュニケーションではなく、離散的な言葉の積み重ねとして定義しているような感じのあれ。僕が他人の話をほとんど聞かずに、自分の言いたいことばかり言ってしまうのも、かつて向井秀徳のような言い回しを練習していた名残なのかもしれない。 そんな彼は、自らの奏法を「オレ押さえ」と呼ぶ。僕はギターに明るくないので詳細はよくわからないが、その言葉の響きからして自己流の弾き方であるのだと思われる。 ちょっとその概念を拝借してみようと思う。自分勝手なタイピング。オレタイピング。あまりにもダサいが、そのダサさを一度引き受けなければ、人は向井秀徳のようになることはできない。 と適当な一般論をこねくり出したが、向井秀徳がダサさをその極限においてかっこよさに反転させることのできる人間であることは言うまでもない。大抵の人間は、非洗練をある種の鋭さに書き換える能力を持ちえない。それはもちろん僕にも当てはまる。 まあ、本当に適当なことばかり書いたが、何かを身につけないための言い訳として向井秀徳を持ち出すのは間違っているし、自分が彼のように無軌道な雰囲気を出すことも難しいだろうから、僕は大人しくホームポジションに指を置くことにしよう。 しかし一人暮らしを始めたら、とりあえず二階堂の一升瓶でも買って部屋の片隅にどんと置こう——どうせ酒浸りになんてなりやしないし、誰に文句を言われることもないのだから。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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