年末は一人で麺類を啜ろう

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今年のお仕事も終わり、完全に年末である。

最終出勤日は午前中に大掃除、午後に職場での飲み会。昼過ぎから飲酒してしまい、十六時くらいにはほろ酔いになってしまう。

「昼から酒飲むやつの気がしれない」と至る所で公言してきたくせに、まあ半ば強制だということで躊躇なくビールやらワインを口に運ぶ。この前泥酔した時以来の飲酒だからか、一口目には若干の緊張があったもののすぐに酔いも回って少しだけ声が大きく早口になってしまう。

家に業者が来る用事があったので、早めに退散。しかし帰りの電車で無性に眠くなってしまう。ついこの間に電車内で眠りこける危険性を知ったはずなのに、睡魔というのはやはり生理的なものであるからどうも抑えることができない。

まあ結局最寄駅でハッと目が覚める程度の眠気であったのでよかった。部屋に戻ると、業者の人が扉前で待っている。遅れたかなと思ったが、そんなことはないらしい。それなら待たせた僕の責任なんてものはないよな、と水をがぶ飲みする。

夕ご飯に油そばを食べる。もう数年は食べていないと思う。なぜだか年末になるとラーメンを食べてしまう。近くにいた友人たちもその多くが帰省をしたり、大切な人と過ごしていたりする。そんな中、底冷えする年の瀬の19時半に、満腹でひとり歩く夜道の寂しさは嫌いじゃない。いつもは頼まない餃子なんか頼んじゃったりしてね。

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仕事帰りの電車に乗ると、僕の近くでスーツを着た新入社員らしき女性が四人ばかりで立ち話をしている。全員が若々しい、というより初々しい感じがするのはなぜなのだろうと考えていると、互いを伺い合うようなその会話もさることながら、彼女らが皆向き合って——ということはつまり円形になって——いることがその理由ではないかと思う。 ある程度の歳を越えると、二人以上で電車に乗る人の数はぐんと減るような印象がある。それに複数人であっても、その陣形は直線が主流で、酔っ払った顔で吊革を掴んであれこれと仕事の話をする場合が多い気がする。電車の中で集団が確固たる集団として一つの会話を形成するような事態は、やはり学生によるものが多い。 だからそういういかにも学生らしき集団が、皆スーツを着ていることが面白いのだ。ある属性を象徴する衣服であるスーツを身に纏っていながら、スーツを着ている人がおよそしないであろう行動をしているとき、そこに見出されるのが初々しさというものなのだろう。それはあくまで全面的に肯定されるべきだ。日々の労働に忙殺され、規範とのズレ=初々しさが失われたとき、人は「つまらない大人になってしまった」と呟くのである。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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