年末は一人で麺類を啜ろう

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今年のお仕事も終わり、完全に年末である。

最終出勤日は午前中に大掃除、午後に職場での飲み会。昼過ぎから飲酒してしまい、十六時くらいにはほろ酔いになってしまう。

「昼から酒飲むやつの気がしれない」と至る所で公言してきたくせに、まあ半ば強制だということで躊躇なくビールやらワインを口に運ぶ。この前泥酔した時以来の飲酒だからか、一口目には若干の緊張があったもののすぐに酔いも回って少しだけ声が大きく早口になってしまう。

家に業者が来る用事があったので、早めに退散。しかし帰りの電車で無性に眠くなってしまう。ついこの間に電車内で眠りこける危険性を知ったはずなのに、睡魔というのはやはり生理的なものであるからどうも抑えることができない。

まあ結局最寄駅でハッと目が覚める程度の眠気であったのでよかった。部屋に戻ると、業者の人が扉前で待っている。遅れたかなと思ったが、そんなことはないらしい。それなら待たせた僕の責任なんてものはないよな、と水をがぶ飲みする。

夕ご飯に油そばを食べる。もう数年は食べていないと思う。なぜだか年末になるとラーメンを食べてしまう。近くにいた友人たちもその多くが帰省をしたり、大切な人と過ごしていたりする。そんな中、底冷えする年の瀬の19時半に、満腹でひとり歩く夜道の寂しさは嫌いじゃない。いつもは頼まない餃子なんか頼んじゃったりしてね。

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諸々紛失事件から数日が経ち、現代人として辛うじて生きていけるくらいには生活を取り戻したので、しばらくお休みしていた日記を復活させる。 カウリスマキの『過去のない男』を見た。暴漢に襲われ記憶喪失になった男の物語。 過去の記憶なんて失われたままでいい。汚いコンテナを磨き上げ、ジューク・ボックスと小さな机を配置してささやかな晩餐会場に仕立て上げる彼の姿を見ていると、そこには一切の絶望を排した純度100%の希望があるような気がする。 生活を取り戻すのではなく、手探りで新しい人生を始めていくこと。カウリスマキにとって、過去は未来への希望に制限をかけるようなものなのかもしれない。過去の記憶なんて、失われてしまった方がいい。 映画を自分に引きつけて受容するなんて野暮だと思っていたけれど、財布とスマホを失くし、ほとんど社会生活から引き離されてしまった僕にとって、こんなにドンピシャな映画を引き当てたのはある種の奇跡だと思う。 しかしカウリスマキの希望に達するには、僕の失ったものはあまりに些細なものでありすぎる。これではまだ生活を取り戻そうとしてしまう。2年くらい前にひどく落ち込んだ時に、その落ち込みが極限を迎えた数分後には結構明るい気持ちになっていて、まだ絶望が足りないのかと落ち込んだことを思い出す。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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