データベースへの欲望は記憶を軽視する

article

夕方から外出し、近所の映画館で『哀れなるものたち』を見る。感想、というより社会であったり時代を介して何かを語りたいとの欲望を喚起するような作品で、そのせいか逆に何を言うべきか試されているような感じのする作品だった。

夜、気まぐれに3年くらい前に見た『チャイナタウン』を再見する。一つひとつのショットは記憶しているような気がするのに、その連鎖はおろか筋すら全く覚えていないなあと思っていながら鑑賞していたが、結局この映画の物語はどうにもよくわからない。この感じはチャンドラーの小説に似ている。


数年前からfilmarksに見た映画を記録しているのだが、「繰り返し見た」ことを記録できないのが不満。映画を見るという行為が、自分だけのデータベースを作り上げることに接近してしまうことへの恐れがある。データベースへの欲望は記憶を軽視する。「見た」という記録は残っても、結局のところその映画のほとんどは記憶から抹消されているのであって、じゃあここにあるリストは何のためのものなんだと訝しんでしまう。

article
ランダム記事
コーヒーの粉の分量を測るためのメジャースプーンを持っていないから、ここ二日はなんとなくの分量で淹れるのだが、なかなかどうして薄くなってしまう。ケチなのに突発的に散財してしまうという人間として最も醜い性質を持っているのかもしれない、と朝から暗い方向へと考えが広がっていく。 コーヒーはたくさん飲みたいが、粉を消費するのは嫌だという無意識。スプーンさえあれば適当な分量はわかるから、その無意識を押しやって自分なりの美味しいものを作ることはできる。しかしそうした秤のようなものなしに自分を律することはやはり難しい。まあこれも慣れなのかもしれないが。今日こそ帰りにメジャースプーンを買う。 一人暮らしをすると、どうしても堅実な生活より先に洒落た生活を目指してしまう。掃除機よりプロジェクター、歯ブラシをいれるコップよりプラネタリウム。部屋の一部だけが立派になっていき、そのツケが押し入れの中に詰め込まれていく。これは都市開発の縮図だな、と思う。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

コメント

タイトルとURLをコピーしました