データベースへの欲望は記憶を軽視する

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夕方から外出し、近所の映画館で『哀れなるものたち』を見る。感想、というより社会であったり時代を介して何かを語りたいとの欲望を喚起するような作品で、そのせいか逆に何を言うべきか試されているような感じのする作品だった。

夜、気まぐれに3年くらい前に見た『チャイナタウン』を再見する。一つひとつのショットは記憶しているような気がするのに、その連鎖はおろか筋すら全く覚えていないなあと思っていながら鑑賞していたが、結局この映画の物語はどうにもよくわからない。この感じはチャンドラーの小説に似ている。


数年前からfilmarksに見た映画を記録しているのだが、「繰り返し見た」ことを記録できないのが不満。映画を見るという行為が、自分だけのデータベースを作り上げることに接近してしまうことへの恐れがある。データベースへの欲望は記憶を軽視する。「見た」という記録は残っても、結局のところその映画のほとんどは記憶から抹消されているのであって、じゃあここにあるリストは何のためのものなんだと訝しんでしまう。

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新居にはまだ洗濯機がないので、洗濯物がたまるたびにコインランドリーに行くことになる。 家から近くに小綺麗な店舗があり、越してから一週間ほど経った数日前に、ようやく初めてその店を訪れた。 店内は清潔感があり、好印象。洗濯乾燥も問題なく行えたし、その点に不満はない。しかし一点だけ、どうしても認められないことがある。 洗濯乾燥に千円もかかる。そのくせ紙幣をそのままを 突っ込むことができず、わざわざ洗濯機横の両替機を使う必要がある。 それに僕が洗おうと思った量は、料金プランの最小である。たしかに乾燥さえしなければ七百円だが、看板を見てもメインサービスは洗濯乾燥、つまり千円分のサービスなのである。 千円札を百円玉十枚に両替することで、「コインランドリー」の定義にかろうじて当てはまる、そんなことを許してなるものか。 とはいえタオルはフワフワ。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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