データベースへの欲望は記憶を軽視する

article

夕方から外出し、近所の映画館で『哀れなるものたち』を見る。感想、というより社会であったり時代を介して何かを語りたいとの欲望を喚起するような作品で、そのせいか逆に何を言うべきか試されているような感じのする作品だった。

夜、気まぐれに3年くらい前に見た『チャイナタウン』を再見する。一つひとつのショットは記憶しているような気がするのに、その連鎖はおろか筋すら全く覚えていないなあと思っていながら鑑賞していたが、結局この映画の物語はどうにもよくわからない。この感じはチャンドラーの小説に似ている。


数年前からfilmarksに見た映画を記録しているのだが、「繰り返し見た」ことを記録できないのが不満。映画を見るという行為が、自分だけのデータベースを作り上げることに接近してしまうことへの恐れがある。データベースへの欲望は記憶を軽視する。「見た」という記録は残っても、結局のところその映画のほとんどは記憶から抹消されているのであって、じゃあここにあるリストは何のためのものなんだと訝しんでしまう。

article
ランダム記事
いつもは通らない待ち時間の長い信号で、疾走するトラックの立てる轟音を聞いて、地面がじりじりと振動するのを感じながらひたすらに待つ。 自転車に乗る大学生と思しき四、五人の集団が、ただ一人の歩行者に合わせてゆっくりとよろめきながら近づいてくる。灰色めいたオレンジ色のジャンパーを着た六十歳くらいの男性が、斜めに視線を上げて晴れた空を眺めやっている。制服を着た女子高生のローファーが立てる小気味よい足音が心地良い。 みんな僕の知らない人たちで、今後も関わりを持つことはないだろう。そんな僕たちが広い道路の前で、ひたすらに赤く光り続ける信号機に留められてじっと静止している。 何だか感傷的になっていることを自覚しつつ、確かに信号が青になったことを確認して道路を横断する。僕の前には誰もいない。どうやら歩行者の先頭を任せられているらしい。しかし酔いが回っているせいか、三分の一ばかり進んだところで、まだ赤信号なのではないかという嫌な予感がして、ふと後ろを振り返ると、ついさっき勝手な連帯を覚えた十人ばかりの人たちが僕について歩いている。 もしまだ赤信号だったら責任重大だなと思う。でも振り返って前を向き、ちょっと視線を上げれば青い光が点滅もせずに光っていて、僕はほっと胸を撫で下ろす。 渡り終わって、家の前まで歩いている途中で、彼ら彼女らは僕を信頼して歩いたわけではないことに気がつく。さっさと風呂に入って寝よう。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

コメント

タイトルとURLをコピーしました