データベースへの欲望は記憶を軽視する

article

夕方から外出し、近所の映画館で『哀れなるものたち』を見る。感想、というより社会であったり時代を介して何かを語りたいとの欲望を喚起するような作品で、そのせいか逆に何を言うべきか試されているような感じのする作品だった。

夜、気まぐれに3年くらい前に見た『チャイナタウン』を再見する。一つひとつのショットは記憶しているような気がするのに、その連鎖はおろか筋すら全く覚えていないなあと思っていながら鑑賞していたが、結局この映画の物語はどうにもよくわからない。この感じはチャンドラーの小説に似ている。


数年前からfilmarksに見た映画を記録しているのだが、「繰り返し見た」ことを記録できないのが不満。映画を見るという行為が、自分だけのデータベースを作り上げることに接近してしまうことへの恐れがある。データベースへの欲望は記憶を軽視する。「見た」という記録は残っても、結局のところその映画のほとんどは記憶から抹消されているのであって、じゃあここにあるリストは何のためのものなんだと訝しんでしまう。

article
ランダム記事
少し前に京都を訪れた際、思い出巡りも兼ねてかつて自分が暮らしていた一乗寺を訪れた。 その帰り、東大路をゆっくりと南に向かって歩く。漫遊堂の前あたりの交差点で信号待ちをしていると、歩道橋があることに気がつく。四年もの間幾度もこの道を往復してきたのに、ほとんど意識することなく通り過ぎていた。 この信号の待ち時間は微々たるもので、正直全く使う理由がない。試してこそいないが、階段を昇り降りしている間に信号は赤から青に変わるだろう。 そう思って写真に撮っていたことを、今日になってふと思い出した。この気づきに結論なんてものはない。歩道橋というものはそれ自体で素晴らしいものなので(その上からトラックに飛び降りることができる!)、別にその存在価値を否定するなんて野暮な真似はしない。 ただ、この歩道橋を生かしきれなかった僕の大学生活は、その無価値さに気が付かなかった時点で一つの負け戦であったような気がする。 京都における僕は一旅行客にすぎない。それゆえにこうしたささやかな発見に心惹かれてしまうのだろう。知らんけど。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

コメント

タイトルとURLをコピーしました