データベースへの欲望は記憶を軽視する

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夕方から外出し、近所の映画館で『哀れなるものたち』を見る。感想、というより社会であったり時代を介して何かを語りたいとの欲望を喚起するような作品で、そのせいか逆に何を言うべきか試されているような感じのする作品だった。

夜、気まぐれに3年くらい前に見た『チャイナタウン』を再見する。一つひとつのショットは記憶しているような気がするのに、その連鎖はおろか筋すら全く覚えていないなあと思っていながら鑑賞していたが、結局この映画の物語はどうにもよくわからない。この感じはチャンドラーの小説に似ている。


数年前からfilmarksに見た映画を記録しているのだが、「繰り返し見た」ことを記録できないのが不満。映画を見るという行為が、自分だけのデータベースを作り上げることに接近してしまうことへの恐れがある。データベースへの欲望は記憶を軽視する。「見た」という記録は残っても、結局のところその映画のほとんどは記憶から抹消されているのであって、じゃあここにあるリストは何のためのものなんだと訝しんでしまう。

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眠る前から睡眠の質が悪いことを予感し、まだ日が昇らぬうちに目が覚めてしまう。とはいえ体には眠気なのか悪い物質が溜まっているような感覚があり、用を足して水を一口飲んでまた目を閉じる。 こんな夢を見た。 自分の部屋に母親が来ている。昼ごはんを振る舞おうとパスタを茹で、この日のために買った生クリームとバター、チーズを加えて作ったパスタソースと一緒にボウルにあけて、「あんまり混ぜすぎないのがコツなんだよ」と一家言たれながら準備を進める。そのパスタには海苔の佃煮が入っていて、混ざりきらずちょっとしたムラになっているのだが、どうも僕はそれが良いことだと思っている。 多分マッシュルームか牡蠣のような食材をフライパンで炒めていると、パスタの入ったボウルを床に落としてしまう。ここはお店ではないからいいやと適当な衛生意識で再びボウルにその麺を戻すと、再び手を滑らせて落としてしまう。それを延々と繰り返す。もう嫌になってきて、僕はボウルを床に叩きつけて駄々をこねる(何をしたってパスタを落としてしまうのだ!)。熱々だった麺は冷たくなっている。海苔の佃煮は完全にソースと調和し、ヌルヌルとした灰緑色。 10時くらいに目を覚ます。長い夢を見たせいで、体がどっと疲れている。 呪術廻戦を7話分見た。川上未映子の『黄色い家』を三分の一くらい読んだ。クロード・シャブロルの『いとこ同士』を見ながら寝落ちをしてしまった。かなり好きな映画だと思う。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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