簡易的な夏休みの終わり

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普段は駅前のスーパーで買い物を済ませるのだが、最近は習慣として日曜日にコメダ珈琲に行っていて、その帰りに駅から少し離れた場所にあるマルエツに寄るのがルーティンみたいになっている。それはいつも夕暮れ時で、食料品を抱え込んでゆっくりと歩いていると、もう食事を作ってちょっと映画を見たり本を読んだりするだけで休日が終わってしまうことに憂鬱を覚え、簡単な夏休みの終わりみたいな気分になる。昨日は冷たい雨が降っていて、その憂鬱に拍車がかかったのかどうしようもなく辛くなり、昔は憂鬱とともにちょっとした愉楽を感じていた休みの終わりが淡白な苦しみでしかなくなってしまった。

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仕事終わりに寮に住んでいた頃の後輩とお酒を飲んだ。なんとなく神田で、ジンギスカンのお店に入る。 やはり生活の中に談話室が欲しいと思う。たまたま居合わせた友人と喋ったり、自分では絶対に選ばない漫画を読んだりする緩やかな時間が恋しい。それはかつての生活が既に思い出となったから覚える感慨なのかもしれないけれど、やはりその時間を共に過ごした人と再会すると、それだけではないと思う。 そういえば寮のイベントでジンギスカンを食べる会があったのを思い出した。100人くらいの人が集まっていた気がする。火力が弱くてなかなか肉が焼けず、そのくせ腹をすかせた若者が集まっているから、十分で一切れくらいしか食べられなかった。氷水の入ったゴミ箱みたいな大きな水色の入れ物に、ビールやらほろ酔いやらコーラやらの飲み物が浮かんでいて、僕たちはガヤガヤと無意味な会話を無分別に繰り返し続ける。なつかしい。 学生の人間関係は変転を繰り返すから、部外者の僕が記憶の中で固定した相関図はもう現実のものではないのだろう。 いろんな話を聞いた。みんなそれぞれの道で頑張っている。僕も頑張れねばと思うが、仲間が欲しい。偶然生涯の相棒を見つけるようなイベントは、この先僕の身に起こるのだろうか。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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