無人のまま引退などできない

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同僚から洗濯機を貰い受けることになったので、引っ越してから三ヶ月あまり、あとはガスコンロを購入すればこれで一通りの家具が揃ったことになる。

そういうわけで、昨日も何度目かのコインランドリーに行ったのだが、おそらくはこれが最後になる。無人の店とはいえ、どこか寂しさを感じないわけでもない。誰もいない店内で、一人衣服を放り込みながら、そんなことを考える。

いつも通り1000円の洗濯コースを選んでボタンを押すと、先にお金を入れてくださいと言われる。結局最後まで同じことを言われ続けてしまった。唯一財布に残された千円札を両替機に突っ込んで百円玉を拵え、それらを片手で掴みながら硬貨の投入口に一つずつ入れていく。十枚の百円玉を握りしめ、それらを落とすまいと掌に神経を張り巡らせるようなことは、もしかするとこの先一度もないかもしれない。

一時間が経ち、再びコインランドリーにやってくると、そこには今までみたこともないほど多くの人(といっても七、八人程度)がいる。洗濯が終わるのを待っているのか、それとも洗濯機が空くのを待っているのか。しかしそんなことはわかるはずもない。僕に内緒で引退セレモニーが企画されていたのだ。そんな妄想をしながら衣服を袋に入れていくと、薄いビニール袋が破れてしまう。僕はパンツや靴下を落とすまいと、良い匂いのするかつての汚れ物を抱え込み、一人トボトボと夜道を帰る。

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言葉は転がり続け 思いの丈を通り越し うまく伝わるどころか 掛け違いのボタン 困ったな 20歳の頃。 志望する大学に合格せず、孤独を自分勝手に抱え込み、図書館で一人受験勉強をしていた時期があった。家族以外とは誰とも会話せず、Twitterを眺めて悶々とする。かつて同じ場所にいた人間はするすると人生を先に進んでいるようで、彼ら彼女らの姿と自分の現状との落差に情けなさを覚える。 そんな時期に、くるりを聴いた。たくさんの期待、というより妄想とともに。 雨の降る中びしょびしょに濡れたリュックを背負い、市バスに乗り込んでアルバイトに向かう。布団を敷いて寝る準備を整えた瞬間に電話が鳴り、「寝るつもりだったんだけど」と愚痴を吐きながら缶ビールを買って友人宅に自転車を飛ばす。 受験勉強しかすることのない20歳の僕にとって、幾分フィクションめいたこうした想像上の日常の一コマは、あまりにも夢物語であった。そのささやかな妄想を、僕はくるりを聴きながらひとつひとつ濃密なものに変えていく。ある一時期、僕の三分の一くらいはくるりのメロディーとともに夢想の京都に暮らしていたのだ。 先日くるりの主催する京都音楽博覧会に行った。それもあってか、少しの間意味もなく遠ざけていたくるりを再び聴こうと思ったのだが、10月は二曲しか聴いてはならない縛りを勝手につけたことを思い出し、頭の中で演奏を再現したり、人気のない道で小さくメロディーを口ずさんだりしている。 自分で歌を歌ってみると、単に聴く以上にその歌詞が頭の中に滞留するような感覚がある。その中で僕は、『奇跡』という曲の歌詞と再び出会いなおした。 かつては単に京都を代弁する曲であったこの曲の歌詞が(それは僕がテクストをあまりにも自分に引きつけて解釈していたからにすぎないのだが)、今では純粋な言葉となって僕の耳に届く。 僕は今、人とコミュニケーションをとることが苦手なことを改めて痛感している。そのせいで色々なことがうまく前に進まないような感覚を幾度となく覚えているのだけれど、その葛藤とか苦しさみたいなものが、一番好きなはずの曲の歌詞に、こんなにも素直に書き込まれていたことに驚く。 意図や思いが伝わらないこと。僕がこれから取り組むべきことは、誰しもが多少なりとも感じる「伝わらない」という感覚を、伝達という目的を超えた言葉の中で具現していくことなのだろう、と考えたりする。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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