満腹の十時半

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面倒、というよりも自分の時間を空費するような仕事が発生して心が荒み、職場近くの公園で変なうめき声を発してしまう。むしゃくしゃしたまま電車に乗る。乱れた心で見る世界はとげとげしい。

高校生の頃、苛々を大声に預けて自転車を漕いでいた記憶が蘇る。誰もいないと思っていた公園横の狭い道で、あたりを伺いながら声を張り上げたら、角から自転車に乗ったおばさんが現れ、恥ずかしい思いをした。こういう中途半端さは、いつになってもあまり変わらない。

このまま一日を終えるのは癪だから、あえてちゃんとした生活をしようと気持ちを切り替える。自炊。賞味期限を迎えた豚肉を炒め、前日に切っておいた白菜で蒸し煮にする。白だしと醤油を加え、味を見る。美味しい。ごま油でもあれば良いのだが、今から買いに行くのは億劫だし、別に無いからといって不満では無いのでそのまま食べる。

と、冷蔵庫に二日前作った春菊と豚肉の炒め物があることを思い出す。おかずは作った順に消費していかないといけない。油断すると途方もない時間が経過しており、悲しい粘り気を放つことになる。

というわけで、出来立ての料理をパックに入れ、残り物をフライパンで温め直す。電子レンジがまだ家にないので、いちいち面倒(電子レンジはインフラだよ、と誰かに言われた)。炊いていたご飯にそのおかずを乗せて、夕ご飯が完成。夜十時くらい。

しかしこの丼、あまりにも量が多い。美味しいことは美味しいのだが、単調な味付けのせいもあり、半分くらい食べると飽きがきてしまう。一味をドバドバかけたり、オリーブオイルを垂らしたりして味変をする。

あまりにも満腹の十時半。満たされすぎた僕の身体は、もはや他の動作を必要としていない。本を読んだり、文章を書いたりしたいのだが、意識が散漫になるので、諦めて風呂に入り眠る。

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今日も引越しの準備。 壁面に取り付けていた本棚を解体するために、まずはびっしりと詰め込まれた大小様々の本を取り出し、段ボールに入れる。緻密に構成した本の並びを崩さないようにと気を配るが、段ボールに入らないのでは本末転倒ということで、多少の妥協は許容せざるを得ない。持っていくものと実家に置いておくものを仕分けしたかったのだが、手に取る本すべてにそれぞれ異なる愛着なり有用性の香りを嗅ぎ取ってしまい、結局ほとんど全部を段ボールに詰め込んでしまう。 迷った本を三冊ほど。 『堤中納言物語』 古書店に行くと、今後読む可能性とかを考えずに欲しいものをどんどん買ってしまう僕が、その中でも最も読まないと確信している本。新品同然の岩波文庫が100円だったという理由で買った。多分浪人生の頃。古典の勉強になるかもという理由も無理やり付与したが、もちろんそんなことは起こり得るはずもない。置いていく本として分類。 『魅惑のフェロモンレコード』 みうらじゅんがカバーにフェロモンを感じたレコードを紹介する一冊。実家に置いていくのが恥ずかしいという理由で、持っていく本として分類。 『判断力批判』 岩波のやつ。最近美学を勉強していることもあって、この本自体を読むモチベーションは日に日に高まっているのだが、岩波の訳はいまいちだという話をよく聞く。この訳の難解さは、カントが敬遠される理由の一つにもなっているらしい。せっかく買ったのだからと岩波に固執して、三批判書を読まないことになったら悲しい。それに上巻しか持っていないので、置いていく本として分類。 読まない積読本は、あればあるほど正しい。そのことは自明なのだが、多少なりとも諦めを持つことは必要らしい。とはいえ九割くらいの本は持っていくことにした。ワンピースも(全巻揃っているわけではないが)、迷った挙句に持っていく。明らかに本棚のスペースは不足するが、その問題は引っ越しが済んでから解決することにしたい。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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