本棚整理

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今日も引越しの準備。

壁面に取り付けていた本棚を解体するために、まずはびっしりと詰め込まれた大小様々の本を取り出し、段ボールに入れる。緻密に構成した本の並びを崩さないようにと気を配るが、段ボールに入らないのでは本末転倒ということで、多少の妥協は許容せざるを得ない。持っていくものと実家に置いておくものを仕分けしたかったのだが、手に取る本すべてにそれぞれ異なる愛着なり有用性の香りを嗅ぎ取ってしまい、結局ほとんど全部を段ボールに詰め込んでしまう。

迷った本を三冊ほど。

『堤中納言物語』

古書店に行くと、今後読む可能性とかを考えずに欲しいものをどんどん買ってしまう僕が、その中でも最も読まないと確信している本。新品同然の岩波文庫が100円だったという理由で買った。多分浪人生の頃。古典の勉強になるかもという理由も無理やり付与したが、もちろんそんなことは起こり得るはずもない。置いていく本として分類。

『魅惑のフェロモンレコード』

みうらじゅんがカバーにフェロモンを感じたレコードを紹介する一冊。実家に置いていくのが恥ずかしいという理由で、持っていく本として分類。

『判断力批判』

岩波のやつ。最近美学を勉強していることもあって、この本自体を読むモチベーションは日に日に高まっているのだが、岩波の訳はいまいちだという話をよく聞く。この訳の難解さは、カントが敬遠される理由の一つにもなっているらしい。せっかく買ったのだからと岩波に固執して、三批判書を読まないことになったら悲しい。それに上巻しか持っていないので、置いていく本として分類。


読まない積読本は、あればあるほど正しい。そのことは自明なのだが、多少なりとも諦めを持つことは必要らしい。とはいえ九割くらいの本は持っていくことにした。ワンピースも(全巻揃っているわけではないが)、迷った挙句に持っていく。明らかに本棚のスペースは不足するが、その問題は引っ越しが済んでから解決することにしたい。

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ツナマヨのことをずっと忘れていた。 小学三年から五年までの三年間は甲府で過ごした。父親の転勤を理由に引っ越したのだが、新しく買ったばかりの家が東京にあったから、子供心に長い旅行のような感覚があった。 僕が住んでいたアパートには同じような転勤族の一家が多く、つまりは同世代の子供たちが数多くそこに暮らしていたので、学校とは別に遊ぶ友達がたくさんいた。アパートの前は小さな公園のようになっていて、そこに行けば誰を誘うでもなく、一緒に砂遊びをしたり、蟻と戯れたり、ドッジボールをしたりして日が暮れるまでの時間を退屈することなく送ることができた。 きっかけは忘れたが、毎日のように遊んでいた仲間たちと一緒に、県のドッジボール大会に出ることになった。僕たちの中には野生的に運動ができるTくんもいたし(雨の中壁伝いにアパートの屋上に登っていた!)、小柄ながらも父親譲りの華麗な運動神経を持ったSくんもいたから、結構いいとこまでいけるんじゃないかと思っていた。僕だって並以上には強いボールを投げることができる。それに僕たちは毎日のようにドッジボールをしていたのだ。 大会に出ることが決まってからは、学校の体育館を借りてちょくちょく本格的な練習もした。その過程で僕は小指を骨折し(いつも使っていたソフトバレーボールとは異なるドッジボール用の硬いボールを使っていたのだ)、それでも大会に出たいと整形外科で号泣、ギブスに包帯をぐるぐる巻いて最強の助っ人よろしく出場が許されたのだった。 そうして迎えた大会の日。対戦相手はツナマヨネーズのCチーム。県下に名を轟かせていた強豪とはいえ、相手は三軍である。 しかし練習の段階でもうレベルが違うのだ。僕たちは個の力でもって相手を倒そうとする。早い球が投げられる人にボールを集め、全力投球。当たるか外れるか、それとも取られるかは個人の球の質次第といったところ。 しかしツナマヨは違う。テンポ良く素早いパスを僕たちの間隙に投げ込み続ける。内外野問わず、ボールの離れが早い。そうして反転する際に体勢を崩した選手の手足を的確に狙い、確実に仕留める。 完敗。 大会後、僕たちはツナマヨをほとんど悪の組織であるかのように捉えるようになった。僕たちは素人で、ツナマヨはプロ。ドッジボールを楽しむ僕たちと、厳しく訓練された坊主頭のゴリゴリ集団(多分坊主の人などいなかったが)。 そんなふうにツナマヨを思っていたことも、甲府で過ごした楽しい三年間のことも、ずっと忘れていた。 彼ら彼女らがツナマヨと名乗っていなかったら、この記憶は一生掘り返されることなく眠っていただろうことを思うと、その名付け親には感謝したい。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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