うまくやっていく

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今日はリモートだったから、一日中外に出ずに過ごす。

昼ごはんにパスタを作って食べる。トマトとツナのパスタ。初めて作ったわりに、なかなかうまくできた。写真を撮るのを忘れてしまった。

家から出ずに過ごすと、日記を書くのが億劫になる。ここ一ヶ月くらいは、毎日今日は何を書こうかと思って風景を眺めていた。引きこもると、世界に対する感度が落ちた感じ。ウジウジモード。

久しぶりに『ニューメディアの言語』を開くと、セルトーの『日常的実践のポイエティーク』からの引用が出てきた。

秩序の中で「うまくやっていく」ための戦略について。この本も読みかけのまま放置してしまっているのだけれど、突然読みたくなってきた。マンネリ化してきたこのサイトも、広告産業という秩序の中に従いながらも、しなやかにその制度を反転させるような場として再構築していきたい。

まあこうした曖昧な言葉から離れて、人を巻き込んでいけるような技巧がそろそろ本当に必要になってきたのだと思う。

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昼休みに会社の同僚と中華料理屋に行った。ちょっと左京区臭のするごちゃごちゃとした店内で、熊本料理が看板メニューらしい(中華とは?)。 太平燕という料理を頼んでみた。あえて料理名を検索せず、どんなものが出てくるのかを楽しみに待つ。店の片隅にはくまモンがラベルに描かれた焼酎らしきボトルが並んでいる。本業は居酒屋なのだろう。 出てきたのは、ちゃんぽんの麺が春雨になったような料理だった。とてもヘルシー。ただスープは結構濃いめで、リンガーハットのそれよりは心なしか白味がつよい気がした。胡麻豆腐みたいな色。 ご飯を食べながら、逆張りについての話をする。逆張りにもいろんなレベルがあって、一番王道の逆張りは浅野いにお。あとカネコアヤノとはっぴいえんど。 そういう一般的な逆張りでは逆張れない集団というのがあって、そこでは順張りが逆張りの意味を果たす。ワンピースとかミスチルとかバック・トゥ・ザ・フューチャーとかが、「俺でもこういうメジャーなのも好きなんだよね」みたいな斜め上気取りの発言とともに言及される。これを第二次逆張り論争と呼ぶ。 で、フィッシュマンズでもスピルバーグでも(これは前者後者の例。断るまでもないと思うけど)逆張れなかった時、そこでようやく人は真価を試されることになる。ノーランではダンケルクが一番好きだ、みたいに「あえてこの作品選びます」手法で乗り切ることもできるし、神曲読んでますみたいに思いきりクラシックに駆け抜けていくのも一つの手。あるいは「もう好きってどういうことかわからないんだよね」とエセ原理主義者を気取るのもありだし、なんやかんやゾロリが一番、と童心に帰るふりをするのも悪くない。 とまあこんな話をしていたら(ほとんどしてないけど)、昼休みが終わりを迎えてしまって、とても悲しかった。オフィスにとぼとぼと帰り、うまく扱えないWordとExcelとの格闘を始める。今はマイクロソフトが僕の敵だ。マイクロソフトに逆張りをかます方法を教えてください。 ちなみに最近、「数字であそぼ」という漫画を読んでいる。4月くらいに4巻まで読んで、最近5、6巻を読んだ。京大理学部の話で、リアリティがあるかはさておき、知っている景色ばかり出るのでとても懐かしく、辛い気持ちになる。京都に帰りたいね。 退屈をかくも素直に愛しゐし日々は還らずさよなら京都 栗木京子さんの歌。涙出てくる。こんな風に僕もうたえるかしら。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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