背が高くなれば本棚が買える

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仕事帰りにふと本棚が欲しくなり、色々と調べる。最初に検討したのが無印良品のスタッキングシェルフ。

https://www.muji.com/jp/ja/store/cmdty/detail/4549337263628?sc_cid=google_pla_pj_direct_cp_14797768044_adg_146642454856_cr_none_opt_none&gad_source=1&gclid=Cj0KCQiAnfmsBhDfARIsAM7MKi2feknujDEri3a6dsbJeAzQ1xitSDXvn_OCBxhH0gA1cxhC8qbewr4aArRfEALw_wcB

5×2のボックスを横並べにして、壁面に置く。そこに今の本棚には入っていない本や漫画、ウイスキーの瓶などを(洒落た感じに)並べ、余ったスペースに中身の見えない箱を設置して下着類や小物を置く。美術展のカタログなんかを置いたらそれはそれは最高の部屋になる。

難点は高いこと。本棚に三万円はかなりきつい。しかし色々と調べるうちに、この棚を設置することが唯一の正解であるように錯覚し始めてしまう。どうしようか。

そう思って他のブランドの似た商品を探してみるが、結局実物に触れてみないと違いがわからない。安い方を選んで正解だったことがあまりないので、ここは腹を括って無印のやつにするべきかと思う。

ふと嫌な予感がする。この棚を設置するスペースは、僕の部屋に残されているだろうか。余裕だと思っているあの場所は、本当に2メートルの幅を持っているだろうか。

しかし僕の部屋にはメジャーがない。とすればできることは長さがわかるものをその場所に実際に置いてみることしかない。家具の幅を調べるのは面倒、となれば僕自身が体を張ってやろう。正確に長さを把握しているもの——それは僕自身の身長だ。

というわけで、空いたスペースに寝そべってみると、ほとんどぴちぴち。だいたい僕の身長プラス5センチくらいのスペースということになる。僕の身長をxとすると、x+5>200であれば良いということだ。

195cm。そんなにあるわけがない。藤浪でぎりだ。そもそもこんな計算式を持ち出す必要もない。しかし逆にいえば藤浪ならばこの本棚を設置することができる……みたいな方向に話を進めてわけのわからない語りをしたくなるが、そういう冗談はもうやめにする。とにかく、この本棚は置けない。じゃあ買うわけにもいかないので、カートに入れた棚を戻す。三万円得をした気分になり、あいも変わらず自分は単純であることに嫌気が差してしまう。


結局IKEAの棚を購入。どちらにせよ本棚問題は早々に解決しないといけない。段ボール箱に入ったままのワンピースが、実際のところ何巻まで揃っているかをそろそろ把握しなければならない。

↓これの4×2を買った。

https://www.ikea.com/jp/ja/p/kallax-shelving-unit-high-gloss-white-30471720/

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山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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