贅沢なカレー

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ゆっくり起きられる日も今日が最後かと名残惜しさを覚えつつ、十時くらいに寝床から這い出す。簡単に日記を書いて、コメダ珈琲へ向かう。デカいカツサンドを食べ、デカいコーヒーを飲むながら川上未映子の『黄色い家』を読む。

隣の席にやってきたおじいちゃんが、頼んだコーヒーに一口も手をつけず十分くらいで席を立った。本当の贅沢とはこういうことなのだと思う。

三連休はじっくり休むつもりだと腹を決めていたから、ダラダラとネットサーフィンをしている時間にも罪悪感があまりない。今日はどういう一日にするのかを決めてからその一日を過ごすことが、幸福につながっていくのだという当たり前の事実を再確認する。

カレーを大量に作る。一人暮らしをしていたのは合わせて四、五年くらいだが、まともにカレーを作ったのはこれが最初だ。大量に作ってしまったポトフに飽きがきてカレー粉を入れたことはあるが、最初からカレーを作るぞと決めてかかったことはない。カレーは好きなのに、なぜなのだろう。

小さい頃、好きな食べ物といえばカレーを挙げる同級生が大半を占めていた時期に、僕はカレーを一番好きな食べ物だと思っていなかった。父親が取引先からもらってくるアワビの煮付けが一番好きだった。そのことが関係しているかとも思ったが、カレーを作らない理由は多分根菜の調理がめんどくさいからだ。

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仕事終わりに同僚と飲みに行った。ごまさばを頼んだ。ごまさばも胡麻鯖もゴマサバも、表記としてはなんかしっくりこない。メニューには何と書いていたっけ。 ちょっと前に大学の友人と居酒屋に行った際、僕が少し遅れて席に着くとそこに空の皿が一つあった。一品だけ頼んだのだという。遅れた僕が悪いのだから全然それは構わないのだけれど、それがごまさばだと聞いてちょっと悔しくなった。僕が一番食べたいのはごまさばだったのだ。もちろんそれは後付け。 小さい頃から天邪鬼で、他人が頼んだ料理ばかりに心惹かれてしまう。選んでいるときは自分の選択に悔いなしと確固たる自信を持っているのだけれど、いざ他人の料理がテーブルに並び始めると、どこかで大きな選択ミスをしたかのような気がする。 でも進路みたいな人生の中の大きな選択で、これまで自分が誤ったような気がしないのは不思議だ。五目そばを頼んだ自分を恨むことは多々あれど、仮面浪人や戦略的留年をしたりする選択に悔いが残ったことはない。中華料理屋で、自分のメイン料理を選ぶことより難しい選択などこの世に存在しない。 そんな僕でも、労働者たる自分の立場はちょっと不安だ。どこかで道を踏み外したような気がしてならない。別に特段大きな不満があるわけではないが、この現状が自分の望んでいたものではないという気持ちがどんどん高まっている。本当は麻婆豆腐を食べたかったのに、エビチリを頼んでしまったような。でもそんな気持ちは何かを選んだ後にしかやってこないのだから、やはり自分は生粋の天邪鬼なのだと思う。 ちなみにこの居酒屋で頼んだごまさばには納得がいかない。〆さばにごまだれがかかったものがごまさばだとは思っていなかった。料理とはかくも素朴なものなのか。 ごまさばをひらがなで書く選択をしたのは失敗だった。今日一番の選択ミス。僕のmacは頑なに胡麻鯖に変換しやがる。そのせいで無駄な時間を使ってしまった。とはいえ胡麻鯖という料理と今日出てきた料理の間にはあまりにも大きなギャップがあった。やはりごまさばでよかったのかもしれない。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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