ちゃんとした勉強

article

新しく出た美学の入門書を数日前に読み終えた。

著者はバウムガルテンに関する著作で博士論文を書いた、井奥陽子さん。市民講座の講義をもとにした新書とあって、語り口も柔らかでとても読みやすい。

本書を通して一貫しているのが、美学にまつわる様々な概念が成立する過程を、「AからBへの移行」として捉えている点だ。一つ例を挙げれば、芸術家という概念は「職人から天才」へとその力点が転換したものとされる。芸術家=天才という定式が当たり前になっている現代という時代は、この思想史的な流れを意識することで相対化される。


この本を含め、美学にまつわる入門書を三冊くらい読んでみようと思っている。そのまとめも一つの記事にして公開したい。

しかしこの本にバウムガルテンの名が全く出てこないのにはびっくりした。ど専門を外した、ストイックな著述。なかなか興味深いですね。

article
ランダム記事
正月だからと特別な理由を拵えるまでなく、おそらくはただ休日であるからという理由で朝寝坊をしてしまう。もしかすると昨晩飲んだヤクルト1000が効いているのかもしれないが、別に統計的なデータなどとっていないので、その確かな理由など探りようもない。 この休みの間に書きたいものがたくさんあるので、昼過ぎになったら家を出て実家近くのタリーズで作業をしようと思う。そんなことを考えながら実家のソファーでゆっくりと食休みをしていると、妹が大富豪をやりたいという。前日に祖母宅でやったのがどうやら楽しかったらしい。 それが案外盛り上がってしまい、結局家を出るのは夕方になってしまう。まあ正月だからいいかとも思うが、この言い訳は一般に言われる「正月」の範囲を大きく飛び越えてなお言い訳として機能しうることを経験的に知っているから、ここらでやめにしようと誓う。 駅前のタリーズに向かう。その道すがら、傾斜のきつい坂道の前を通りかかると、まだ今年一度も開いてはいないだろう美容院の前に5kgの白米が落ちている。「置いている」のではなく「落ちている」と言いたくなるような無造作な配置に、この背後にはどのような理由が隠されているのかを知りたいと思うが、そんなことわかるよしもない。数粒ならともかく、一袋ごと落として気づかないことがあろうか。しかしそれなりに人通りのある道の端に生米を置く理由など思い至らない。 米を落とす。 これまで何度となく食事中に炊き立ての白米を箸や口の隙間から落としてきたのだが、それは常に「ご飯を落とす」とのみ呼ばれるような事態で、「米を落とす」という単語の結合にはついぞ出会ったことがないような気がする。おそらく新年だからと理由づける必要もなく、これは2024年に起こる物事の中でも鮮明な記憶としてその先の年月に持ち越されるものであることを確信する。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

コメント

タイトルとURLをコピーしました