兄弟喧嘩

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ちょっと早く家に帰ったので、オアシスの映画を見た。

妹がちょっと前までイギリスに行っていて、そのくせオアシスを知らないという。それは流石に教育しなければと思い、リビングのテレビでこの映画を流す。

兄弟でバンドをやるなんて、僕には到底考えられない。けれどもノエルもリアムもやはり兄弟でバンドをやるなんてありえないと思っていたようで、それでいてオアシスになるのだから面白い。少し前にネットで二人は母親の前では素直に喋るようになるというエピソードが書かれた記事を読んだことを思い出す。

僕は妹と五歳離れている。だから妹がいつまでもクソガキなような気がする。仲は悪くないにもかかわらず、芯を食った会話をすることはない。

ノエルとリアムも五歳離れているらしい。それだけ歳が離れているくせに大喧嘩ばかりするのも、自分の感覚からするとありえない関係性な気がして少し羨ましい。

妹は早々に退屈したようで、テレビの前から離れていった。もちろんそれで喧嘩に発展することはない。しかしノエルとリアムはこんな理由でも喧嘩をするのだろうか。


帰り道に同僚とラーメンを食べた。秋刀魚ラーメンの定食。美味しかったが、これが秋刀魚であるかどうかはわからない。青魚であることが辛うじてわかるくらい。栗ラーメンもあるらしく、今度チャレンジしてみたい。

眠くて文章を書くのがちょっとしんどい。運動神経が悪くなった感じ。まあそんな日もあるでしょう。

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数日分の食料と白米に缶ビールをカゴに入れて2、3人が並ぶスーパーの列に並んでいると、視界の片隅に菜の花が入ってくる。 こんなに寒いのに、もう春が近づいているのかと思う。なんとなく心惹かれて一番量の少ないそれを手に取ると、列はぐんぐん進んでいき、急かされるように購入を決意する。 家に帰ると調理方法を調べる。といってもどのサイトも言っていることは大体同じで、一分ばかり茹でて冷水で締めるだけ。その後にだし汁に漬け込むと良いと書いてあったので、白だしを水で薄めたものを用意し、茹で上がった菜の花をその中に浸していく。 ご飯が炊き上がるまでの間、久しぶりにお湯を張った浴槽で冷えた体を温めていると、数年前にスーパーで菜の花を買った時のことが思い出されてくる。 こんなツイートをした。 ほとんど誰にも読まれていないこんなツイートでも、当人は結構覚えているものなのだと驚嘆する。風呂上がりにビールでも飲んでやれ、とニヤニヤしながら体を火照らせていたのだが、ちょっとした暗雲が立ち込めてくる。 グラスにビールを注ぎ、準備した菜の花に醤油を垂らす。数年越しのリベンジマッチだ。以前は苦さの波状攻撃にノックアウトさせられたようだが、そこからもう四年以上が経過している。修行期間なんてものは二年で十分だとワンピースが教えてくれたのだから、かつての軟弱な舌も、今ではその苦さを片手であしらうことができるくらいには成長しているはずだ。 さて、菜の花を一口。 苦い。苦いがその苦味は爽やかさともいうべきもので、白だしの旨味と相まって心地よい美味しさを作り上げている。 OK。ここまではわかっていた。以前だって菜の花が苦くて食べられないと感じたわけではなかろう。問題はその苦味を舌先に保持したまま、ビールの苦味に耐えられるのかということだ。 緊張しながら、よく冷えたビールを手に取りちょっと舐めてみる。 苦い。お互いの苦さが悪い意味で干渉しあっている。 しかし、よく考えればこれは飲み方が悪かった。緊張していたせいでごくごくと喉に流し込まなかったのだから、ビール自体の苦味がきわめて強調されてしまっている。これではいけない。飲み終わった後に鼻先を抜ける麦の甘さと、菜の花の爽やかな苦味をマッチングさせるべきなのだ。 というわけでもう一口。 苦い。全然苦い。組み合わされた苦味が、後を引く苦味へと変貌してしまっている。さっきと全然変わらない。4年ぶりのリベンジマッチ、無念の敗退。 結局前日に作った味の濃い炒め物とご飯を間に挟むことで、菜の花も美味しく食べることができた。やはり僕たちは周りのサポートなければ生きていけない——これは流石に雑な一般化。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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