すべての夜を思いだす

article

ユーロスペースで『すべての夜を思いだす』を見る。

監督の清原惟さんは何年も前から名前だけを知っていて、いつか見たいなあと思いながらもその機会がなかなか巡って来ず、ようやく新作が劇場でかかることを聞いてずっと楽しみにしていた。

映画『すべての夜を思いだす』2024年3月2日 ユーロスペース渋谷
『すべての夜を思いだす』2024年3月2日 ユーロスペース渋谷にてロードショー

多摩ニュータウンでの一日が、三人の視点で描かれる。いわゆる群像劇で、筋を要約できない(というより要約する意味を持たない)ような映画だった。特に良かったのは、役者の一つ一つの所作が時間を節約するのためにショットに分割されないところ。

たとえば夏という大学生の女の子が亡くなった友人の実家を訪ねるシーンで、家の前に自転車を停めて、少し逡巡した後で呼び鈴を鳴らす(鳴らしたと思う)場面なんかは、まあ一般的に考えて「自転車を降りる」→「扉の前に立っている」とショットが割られて、その間の数秒を節約するのが定石だと思うのだけれど、この映画ではなんと贅沢にその画面が一つのショットに収められている。

一つの画面はただ一つの機能を持つというのがやっぱり作劇の基本というか、基本的な記号学的処理だと思う。でもその中で失われてしまう、世界に対する身体の反応のあり方みたいなものも確かにあって、この映画ではそういった記号化されえないものが常に画面に充溢しているような感じがあった。

この日は舞台挨拶があって、その中で司会の人や俳優たち、監督自身もこの映画の「音」の良さについて語っていた。その素晴らしさは、それが意味(ないし物語)に還元されることなく、ただそこにあるものとして凛とした存在感を放っていることだと思う。

街を撮るというのは生活を描くということで、生活を描くというのは人生の一部を切り取るということだ。過去を直接示すのではなくて、過去から投射された現在を、つまるところ時間の表皮を描くような徹底がこの映画にはある気がした。でも後半になってビデオの映像が映し出された瞬間に、形象化された、それでも意味を成しえない記憶の濁流が一気になだれ込んでくるような感覚があって、それが無性に寂しく、この一日はもう終わりが近づいていることを悟った。

article
ランダム記事
朝、具沢山のお味噌汁を作ることにハマっている。というのも、最近土井善晴さんの「人生が楽になるお味噌汁の作り方」という動画ばかり見ているのである。 要点をかいつまめば、「お味噌汁には何を入れたっていい」「具沢山にしてしまえばお味噌汁がおかず代わりになる」という内容。余った食材を適当に放り込んでなんとなく味噌を溶かせば十二分に美味しい一食分の食事ができるということで、かなり実践的だ。 とはいえ僕がお味噌汁にハマったのは、アドバイスの有益さというよりも、単にこの動画がめちゃくちゃに魅力的だからである。 昔から色々なところで言っているが、僕はなぜかYouTubeの料理動画に限って、何度も同じ動画を繰り返し視聴してしまう。葉加瀬太郎がペペロンチーノを作っている動画や、粗品がわかたまスープを作っている動画は冗談抜きでもう数百回ずつ見ている。 どうやら僕は今、そのバリエーションとして先のお味噌汁の動画にハマっているらしい。それで冷蔵庫に食材のあるかぎり、朝から十分くらい時間をかけてお味噌汁を作っているのである。具材もたっぷりだから健康にも申し分がない。YouTubeの最も健康的な活用法である。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

コメント

タイトルとURLをコピーしました