昨日更新しなかったことを死ぬほど後悔

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高校の時の部活の同級生と飲んだ。この前似たようなイベントがあったけれど、今回は顧問の先生が二人来てくれた。ありがたい。僕のことなんかとうの昔に忘れていると思ったけれど、どうやら覚えてくれていたらしい。こんな幸せなことは他にない。

部活の同期と集まると、いつも話題に上がるエピソードがある。大切な試合でエラーをした僕が、帽子を破りすてて不貞腐れていたこと。どうやら試合用の帽子のつばを引きちぎり、ベンチの後ろの方でうだうだと文句を垂れていたらしい。実のところ当人の僕は具体的なことをあまりよく覚えていなくて、その時の何ともいえない苦しい気持ちをネタにして消化することしかできない。まあそれはともかく、僕はそのエピソードを聞くたびに、下手くそな悲劇詩人を引っ提げて皆の前に顔を出すことになる。


ここまで書いて、寝落ちしてしまった。二週間くらい欠かさずに書き続けてきたから、ちょっとした挫折感。こうやってずるずると習慣が習慣邪悪なってしまった情けない過去があるから、今日は何としても書かなければならない。


大学の頃の友人たちと伊豆に来ている。旅行をしながら日記を書く僕は偉いのか、それとも空気読まずなのか。

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電車でゲルツェンというロシアの思想家の本を読んでいると、隣に六十歳くらいの男性が座ってくる。使い古されたリュックサックを膝の上に置いて、その中から分厚い本を取り出す。帆布のブックカバーで覆われたその本は、どうやら古い本らしく一つひとつの文字の密度も小さい。 他人の本を一瞥して再び読書に戻るも、五分くらいで心地よい眠気に襲われる。本当はここで一眠りできると幸せなのだが、もうあと数駅で乗り換えの駅に着いてしまうので、頑張ってこの眠気を追いやろうとあたりをちらちらと眺めやる。すると先ほどチラと見た隣に座る男性の本の中に「チェルヌイシェフスキー」なる文字があることに気がつく。 チェルヌイシェフスキーはロシアの思想家・小説家である。獄中で書いた『何をなすべきか』という本で、来るべき理想の社会主義世界を描き、それは同世代の、また後続の世代のロシア人に多大なる影響を与えた。 とはいえチェルヌイシェフスキーなる名前は、現代の日本でよく知られているわけではない。まさか山手線でその名前をお見かけするとは思っておらず、ただただ驚いてしまう。たまたま僕の隣に座った人が、どうやらロシアの社会主義(それも革命前の)を読んでいる……! 気になってしまい、もはや隠そうともせず隣人の本を読んでいると、予想通りというべきかそこにはゲルツェンの名前も登場する。山手線でたまたま並んで座った二人が、たまたまゲルツェンに関する本を読んでいる——これは奇跡と言っても言い過ぎではないと思う。 少し前に読んだ掌編を思い出した。アメリカの人々が語るごくごく小さな物語を集めた『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』所収の一編。 兎を飼っている友人の家を訪れた男が、思いつきで「もしこの兎が電気のコードを噛んで感電死したら教えてくれ」と呟く。その兎を夕食として調理したいという悪趣味な冗談だ。 しばらく経って、鉛筆を探しに席を立った友人が奇妙な顔で戻ってくる。本当に兎が感電死したのだという。そして友人は次のように言う。 「あなた、気づいているかしら」と彼女は言った。「あなた、さっきどんな願いでもかけられたってこと?」 「どういう意味?」 「さっき。兎を持って帰って夕食に料理するって言ったときよ」と彼女は言った。「さっきそういう可能性を口にしたでしょ。あれってべつに、兎じゃなくても、百万ドルでも何でもよかったのよ。何を願っても、あなたはそれを手に入れられたのよ。何を願っても、必ず願いが叶う、そう言う瞬間だったのよ」
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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