ストイックな生活へと走り出す

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夕食後、ふと思いついてNHKラジオのロシア語講座を聞く。

最近はもうロシア語(というより語学全般)とは疎遠になってしまっていて、今日をきっかけに語学をやる習慣を身につけたい。こんなことを思ったのはもう百回をとうに超えている。

短い会話を聞いて、ただ音読するだけ。最初は言葉がスラスラと出てこないのだが、繰り返しているうちに次第に興に乗ってくる。大体のフレーズをほとんど反射で言えるようになると、シャワーを浴びて、風呂場で下手くそに歌うみたいに、声を張り上げ時には身振りを交えてその会話を反復する。これが結構楽しい。

語学が苦手、というよりあんまり好きではないことが自分の選択肢を狭めてしまっているような感覚がずっとあって、なんとかその思い込みを払拭できるように続けていきたい。日記と語学、理想を言えば筋トレの三種が生活に揃えば、それはなんと素晴らしくストイックな生活だろうか。

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仕事から帰るとすぐにたまった洗濯物をまとめ、近くのコインランドリーに向かう。洗い終わるまでの一時間で、賞味期限の近いタコを調理する。 ニンニクと唐辛子をオリーブオイルで炒め、玉ねぎを入れてさっと加熱。そこにぶつ切りにしたタコを入れて、トマト缶を流し込む。なぜか家にあるオリーブなんかも放り込んで、30分ほど弱火でコトコト煮ていく。 洗濯物と煮込み料理が作り出した二重の空白を、何で埋めるべきかと考える。しかしこの答えはほとんど自明だ。とっととシャワーを浴びてしまおう。そうして一日のノルマを綺麗さっぱり終えてしまうのだ。 自分でも驚くくらい無駄な時間がない。分刻みのスケジュールで行動するキャラクターがいたよな、と小学生の頃に読んだブラック・ジャックの記憶を引っ張り出し、そこで出てくる成金実業家と自分を重ね合わせる。僕はやはりできるやつだな、とほくそ笑みながら、狭い風呂場で髪を洗う。 バスタオルがない。 髪を泡立てている手が止まる。バスタオルがない。ただの一枚も、身体を拭くためのタオルが存在しない。 数百メートル先の無駄に綺麗なコインランドリーの中で、今頃そいつは暖かい風を浴びてぬくぬくと乾いている。しかしお前がカラッと乾燥させてもらえるのは、僕を拭くというお仕事があるからだ。その仕事を放棄して、お前だけがフワフワになってどうする。そのフワフワは、僕を拭くための柔らかさでしかないのだ。 などと憤るが、濡れタオルを何度も絞りながら身体を拭き、ハンカチみたいな小さな布切れで凍えながら水気を取るだけしかできない。いつもより二倍くらい時間をかけて、ドライヤーで髪を乾かす。 何だか一日中が忙しなかったので疲れてしまい、映画を見ている途中で23時くらいに眠り込む。結局タコは硬いまま。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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