眠れないことは自慢にならない

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色々と作業をしているうちに気がついたら24時くらいになっている。シャワーを浴びるのもめんどくさいと思い、そのままベッドに寝転んで電気を消すが、なぜだか覚醒してしまって眠れない。知り合いのXを遡り、眠れないとの呟きを見て勝手に共感したりしながら時間を溶かしてみるが、暗闇の中で冴えきった頭はその働きを止めることがない。

ちょっと身体がベタついていて、その不快さが眠気がやってくるのを阻害しているのだと思う。こういう時に無理に眠ろうとしても苦しいだけだし、なんとか眠れたとしても苦しい夢を見て汗をびっしょり掻くだけだと知っているので、とりあえずシャワーを浴びてしまうのが良い。でも電気をつける気力も湧いてこないし、ましてやシャワーを浴びるために立ち上がるなんて尚更だ。

元々睡眠には自信があるというか、いつでもどこでも寝られるのが一つの売りだったので、「眠れない」みたいな話を聞くたびにちょっとした憧れのようなものを覚えていた。「眠れない」ことは忙しさであったり、悩みの深さを示すしるしのようなもので、僕みたいに楽観的でほとんど何も考えていない人間には持ちえない充実の代償のように思ったりもした。

でも実際に眠れないとなると、それが十数分そこらであってもひどく焦ってしまうものだ。色々な思念が輪郭を持たずに渦巻き、消えることなくざわざわと耳障りな音を立てる。それが外で降る雨の音と混じり合って増幅していく。これは結構苦しい。誰かが語る「眠れない」ことをある種の自慢と捉えていた自分を大いに反省する。


結局電気をつけてちょっと本を読み、ものすごいスピードでシャワーを浴びて、さらにもうちょっと本を読んでいると心地よい眠気がやってきた。なんでこれが早い時間にできなかったのだろうと後悔するのも何回目だろう。

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数日分の食料と白米に缶ビールをカゴに入れて2、3人が並ぶスーパーの列に並んでいると、視界の片隅に菜の花が入ってくる。 こんなに寒いのに、もう春が近づいているのかと思う。なんとなく心惹かれて一番量の少ないそれを手に取ると、列はぐんぐん進んでいき、急かされるように購入を決意する。 家に帰ると調理方法を調べる。といってもどのサイトも言っていることは大体同じで、一分ばかり茹でて冷水で締めるだけ。その後にだし汁に漬け込むと良いと書いてあったので、白だしを水で薄めたものを用意し、茹で上がった菜の花をその中に浸していく。 ご飯が炊き上がるまでの間、久しぶりにお湯を張った浴槽で冷えた体を温めていると、数年前にスーパーで菜の花を買った時のことが思い出されてくる。 こんなツイートをした。 ほとんど誰にも読まれていないこんなツイートでも、当人は結構覚えているものなのだと驚嘆する。風呂上がりにビールでも飲んでやれ、とニヤニヤしながら体を火照らせていたのだが、ちょっとした暗雲が立ち込めてくる。 グラスにビールを注ぎ、準備した菜の花に醤油を垂らす。数年越しのリベンジマッチだ。以前は苦さの波状攻撃にノックアウトさせられたようだが、そこからもう四年以上が経過している。修行期間なんてものは二年で十分だとワンピースが教えてくれたのだから、かつての軟弱な舌も、今ではその苦さを片手であしらうことができるくらいには成長しているはずだ。 さて、菜の花を一口。 苦い。苦いがその苦味は爽やかさともいうべきもので、白だしの旨味と相まって心地よい美味しさを作り上げている。 OK。ここまではわかっていた。以前だって菜の花が苦くて食べられないと感じたわけではなかろう。問題はその苦味を舌先に保持したまま、ビールの苦味に耐えられるのかということだ。 緊張しながら、よく冷えたビールを手に取りちょっと舐めてみる。 苦い。お互いの苦さが悪い意味で干渉しあっている。 しかし、よく考えればこれは飲み方が悪かった。緊張していたせいでごくごくと喉に流し込まなかったのだから、ビール自体の苦味がきわめて強調されてしまっている。これではいけない。飲み終わった後に鼻先を抜ける麦の甘さと、菜の花の爽やかな苦味をマッチングさせるべきなのだ。 というわけでもう一口。 苦い。全然苦い。組み合わされた苦味が、後を引く苦味へと変貌してしまっている。さっきと全然変わらない。4年ぶりのリベンジマッチ、無念の敗退。 結局前日に作った味の濃い炒め物とご飯を間に挟むことで、菜の花も美味しく食べることができた。やはり僕たちは周りのサポートなければ生きていけない——これは流石に雑な一般化。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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