眠れないことは自慢にならない

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色々と作業をしているうちに気がついたら24時くらいになっている。シャワーを浴びるのもめんどくさいと思い、そのままベッドに寝転んで電気を消すが、なぜだか覚醒してしまって眠れない。知り合いのXを遡り、眠れないとの呟きを見て勝手に共感したりしながら時間を溶かしてみるが、暗闇の中で冴えきった頭はその働きを止めることがない。

ちょっと身体がベタついていて、その不快さが眠気がやってくるのを阻害しているのだと思う。こういう時に無理に眠ろうとしても苦しいだけだし、なんとか眠れたとしても苦しい夢を見て汗をびっしょり掻くだけだと知っているので、とりあえずシャワーを浴びてしまうのが良い。でも電気をつける気力も湧いてこないし、ましてやシャワーを浴びるために立ち上がるなんて尚更だ。

元々睡眠には自信があるというか、いつでもどこでも寝られるのが一つの売りだったので、「眠れない」みたいな話を聞くたびにちょっとした憧れのようなものを覚えていた。「眠れない」ことは忙しさであったり、悩みの深さを示すしるしのようなもので、僕みたいに楽観的でほとんど何も考えていない人間には持ちえない充実の代償のように思ったりもした。

でも実際に眠れないとなると、それが十数分そこらであってもひどく焦ってしまうものだ。色々な思念が輪郭を持たずに渦巻き、消えることなくざわざわと耳障りな音を立てる。それが外で降る雨の音と混じり合って増幅していく。これは結構苦しい。誰かが語る「眠れない」ことをある種の自慢と捉えていた自分を大いに反省する。


結局電気をつけてちょっと本を読み、ものすごいスピードでシャワーを浴びて、さらにもうちょっと本を読んでいると心地よい眠気がやってきた。なんでこれが早い時間にできなかったのだろうと後悔するのも何回目だろう。

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普段は駅前のスーパーで買い物を済ませるのだが、最近は習慣として日曜日にコメダ珈琲に行っていて、その帰りに駅から少し離れた場所にあるマルエツに寄るのがルーティンみたいになっている。それはいつも夕暮れ時で、食料品を抱え込んでゆっくりと歩いていると、もう食事を作ってちょっと映画を見たり本を読んだりするだけで休日が終わってしまうことに憂鬱を覚え、簡単な夏休みの終わりみたいな気分になる。昨日は冷たい雨が降っていて、その憂鬱に拍車がかかったのかどうしようもなく辛くなり、昔は憂鬱とともにちょっとした愉楽を感じていた休みの終わりが淡白な苦しみでしかなくなってしまった。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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