一人でコンビニに行くのは寂しい

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23時すぎ。昨日から読み始めたアンドレイ・クルコフの『ペンギンの憂鬱』を読んでいると、いつも常備している2ℓの水がなくなってしまう。

口が寂しいと作業をしたり本を読んだりしてもあまり集中できない性質なので、まだ眠くないこの夜を引き延ばすためにも是非とも水が欲しい。今日はリモートだったので全く外に出ていないし、ちょっとは散歩をした方が良いような気もする。

ただシャワーも浴びてガッツリ寝巻きの状態。わざわざ外出するのは億劫だし、夜に追加の花粉を浴びるのはあまり好ましくない。

どうしようかとしばらく迷っていると、いつの間にか本には集中できていない。変にスマホを触りだしてしまって、適当な人物のWikipediaを読み流している。このまま大久保利通の人物評価を読んでも仕方がないだろうと思い、ようやく重い腰を上げて部屋を出る。


今日は大学の卒業式だったらしい。僕が京都を去って、ちょうど一年が経つ。幸運にも学年を問わずに友人を持てたおかげか、これからも京都に居座ってくれる人がまだ残っているわけだが、ただその数は減っていく一方だ。

ひとりコンビニへと向かう夜道を歩きながら、誰かの買い物に付き合ってガヤガヤと丸太町通を練り歩く集団のことを思い浮かべたりした。

体調もだいぶ戻ってきた。

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もずくスープを飲もうと思い、先日買った電気ケトルでお湯を沸かす。 こんなところまで金かけても仕方ねえよな、と思ってAmazonで安そうなものを適当に選んだ。値段相応の軽さというか薄っぺらさがあるし、前に使っていたT-falのやつと比べると沸くまでに時間がかかるのだが、最低限の機能は果たしているので問題はない。 とはいえこの商品を選んだ理由はあって、それは注ぎ口が細いこと。僕がお湯を沸かす理由の大半はコーヒーを淹れることだが、一般的なケトルからドボドボと注ぐのは品がないし、新しくドリップポットを調達するのも勿体無い(学生時代は持っていたが、おそらく前の住居に置いてきた)。それに電気ケトルからわざわざもう一つの器具を通過するのは洗練された動きとは言い難い。これならば沸かして即ドリッパーに注ぐことができるから、というわけだ。 使ってみると実際便利で、生活の中から一つの動作が消えるだけで、一日が少し長くなったような気がして嬉しい。ミニマリストは、こうした感覚に喜びを見出しているのだろうか。 しかし購入時に使い方を具体的に想像してしまったせいか、コーヒーを淹れる以外の用途で使おうとすると、どこか違和感というか、「間違っている」という感覚を強く覚えてしまう。たとえていうなら、ドライヤーで暖をとっているような感じ。このケトルは、もずくスープのための器具ではない。 そんなことを思ったが、でもお湯を沸かすにはこれを用いるのが簡便だから、結局この湯沸かし機を用いる。generalとspecialの違いというのは、生活器具の中にも確かにあるのだなあ、と考えたりする。じゃあどっちを買うべきなんだと聞かれても困ってしまうのだが。 コーヒー周りの器具の名前がどうも覚えられず、いちいち調べていた。ここ数年、コーヒーサーバー、と聞いてもそれが何なのか即座にはわからない。 うっかりキンミヤ焼酎を買ってしまい、シークワーサーサワーを作って飲んでしまった。昔たまに作っていたけれど、やっぱり美味しい。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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