本当に締め切りが近い

ワードプレスをいじるのが楽しくて、論文執筆が捗らない。本当に捗らない。本当に締め切りが近いのに。締め切りが近いことを言い訳にして、いろんなことを先延ばしにしているのに。

自分一人で運用しているのに、他人に記事を書いてもらいたくてうずうずしている。執筆するまでの流れとかを考えたりしている。しかしそのためには僕がこの場所で何をしたいのか、それを明確にしなければならない。その前におもしろ文章を書きたい。こんなどうでもいい日記ではなく。

あと記事用のアイキャッチを作りたい。ジャンル別に下地を用意して、ちょっと改変を加えるみたいに。でもちょっとめんどくさい。

ただこんな風に作業の流れとかを考えるようになったのは、やはり僕が社会人になったという証左だと思う。昔は何も考えていなかった。あまり今も考える方ではないが、それでも。

ただ、果たしてこれが良いことなのかはわからない。中身を考えるのではなく、機構とかシステムのようなものばかり考えるのは、僕がなりたかった自分ではない。もっと楽しいものは楽しいままに受け入れるのがなりたい自分ではないか。こんなのノートを綺麗に取って満足する大して賢くもない少年少女ではないか。ぐちゃぐちゃのノートの中に、綺羅星のごとく輝く才能。そんな風に生きていきたい。

まあ、今はそれが楽しいのならそれでいいやとも思う。どしどし運用とか考えてしまえ。一人だが。

偉く抽象的。それは今日が代わり映えのない平凡な1日だったからなのだろう。

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15時くらいから久々に部屋で映画を見る。 ケリー・ライカートの『ショーイング・アップ』。個展を行う彫刻家の生活をさらりと描いた映画だが、あらゆるショットが生き生きとしている。 主演のミシェル・ウィリアムズのアトリエは雑多なものが(逆説的な言い方になるが)整然と並んでいて清々しく、彼女が働くアート・カレッジは優しい光で満ち溢れていて美しい。特にそのカレッジの屋外で、ダンスの講義を受けている数人が緩やかな運動に身を任せる瞬間の多幸感。 何よりも素晴らしいのはそのラストだ。傷を負って飛ぶことのできなくなった鳩が、ギャラリーの狭い空間を縦横無尽に飛び回る。そして聖愚者めいた兄が黙ってその鳩を外へと解き放つ。こんな奇跡がそこにあれば、別に和解の言葉を口にしなくても、人は再び並んで歩かざるを得ないだろう。 素晴らしい映画だったのだが、途中でガッツリと寝た。15時に視聴を開始して、見終えたのが19時くらい。映画は2時間弱だから、2倍の時間を使って贅沢にこの映画を見たことになる。 昼食後から夕食前までの時間は、これくらいの緩やかさでしか生活できないような感じがある。どんなに気を詰めてパソコンの画面を睨みつけていようと、結局午後という時間は、芝生に寝っ転がってコーヒーでも呑みながらゆっくりと読書をして、太陽を瞼の裏に感じながら午睡にふけるくらいのことしかできないのだろうと思う。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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