記憶を引っ掻き回す日記は日記なのか

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鼻毛が出ている。

毛先をつまんで引っ張ると、普段は感じることのない箇所が刺激されて楽しい。


野球部だった頃に、鼻毛が出ていると指摘されて恥ずかしい思いをした記憶がある。「別に出てねえし」と強がるほど子供じゃないが、「伸ばしてるんだ」と言えるほど成熟した年頃でもなく、曖昧な返答をしてその場を誤魔化そうとした。

普通ならそれで会話は立ち消えになるはずだが、その時はなぜだか僕の意に反して鼻毛の話題が継続された。するとふと、誰かの口から「イケメン鼻毛出ない説」が提唱された。部員の中で最もかっこいい後輩に話を聞くと、確かに鼻毛を切ったことはないという。

それで僕たちは、部員を一人一人吟味し、あいつは鼻毛が出るか出ないかで徹底討論をした。あいつは本質的には鼻毛が出るタイプだ、あいつの鼻毛は癖毛に違いない、などとよくわからないラベルを貼ってささやかに盛り上がったような気がする。あまりにも野球部の部室の話題すぎて、それを思い出すとちょっと笑ってしまうくらいだが、結構楽しかった。

そんなことを思い出したのだが、もう眠い。無理やり話題を引っ張り出してくるくらい、今日は取り立てて書くに値する出来事が起こらなかったことを思うと、少しばかり虚しい気持ちになる。

鼻毛は明日の朝忘れずに切る。


画像生成AIで、「カンディンスキー 野球」と書いたら生成された写真。野球をやっていたことは、やはり信じられないような気がしてしまう。

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一昨日のことなのだけれど、高校の友人と一緒に宅間孝行が主宰する劇団(というより演劇プロジェクト?)の舞台を見に行った。演目は『晩餐』。初演は2013年で、それ以来再演されることがなかったというから、きっちり十年ぶりに演じられたということになる。 2075年。母親を早くに亡くし頑固親父の男手一人で育てられた息子が、その父の死後、タイムスリップを行い結婚前の両親に会いにいく。そこで父親が生涯隠していた家族の秘密を知る物語。60歳を超えた息子を演じるのは主宰の宅間孝行、30歳くらいの過去の父親を演じるのは永井大。 2015年。僕がまだ坊主頭の高校三年生だった頃、文化祭の出し物としてこの劇をクラスでやった。 僕たちがその頃参照していたのは、2013年版の『晩餐』。当時息子を演じていたのは中村梅雀で、父親を演じていたのは宅間孝行。 多分坊主の垂れ目だったことが理由で、僕はその息子役を演じることになった。部活を引退してからの二ヶ月弱、受験勉強なんてものを放り投げ、蒸し暑い渡り廊下で毎日のように声を出していたことを思い出す。 あ、え、い、う、え、お、あ、お。近くで演劇の練習をしている人がいるとよく聞こえるこの発声練習にも、いまだにちょっとした親近感を覚えてしまう。今考えると、練習をしていたのは高々二ヶ月なのに。 10年くらいの時間で、かつて30歳だった父親は60歳の息子になり、坊主頭の高校生は髪の長い労働者になった。フィクションを素朴に受け止めていた高校生は、いくらかの見方を習得して少しばかり批判が多くなった。連続する時間の中でじりじりと少しずつ変化が生じたことを疑いはしないのだけれど、言葉だけ取り出してしまえばここにあるのは何だか小さな断絶であるような気がしてしまう。 そういえば昨日で十日間にわたる熊野寮祭も終わりらしい。僕の人生に少なからず関係があったあれこれの場所での出来事が、何だか僕の青春の終わりを告げているような気がしていて、ひどく寂しい気持ちになってしまう。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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