無人のまま引退などできない

article

同僚から洗濯機を貰い受けることになったので、引っ越してから三ヶ月あまり、あとはガスコンロを購入すればこれで一通りの家具が揃ったことになる。

そういうわけで、昨日も何度目かのコインランドリーに行ったのだが、おそらくはこれが最後になる。無人の店とはいえ、どこか寂しさを感じないわけでもない。誰もいない店内で、一人衣服を放り込みながら、そんなことを考える。

いつも通り1000円の洗濯コースを選んでボタンを押すと、先にお金を入れてくださいと言われる。結局最後まで同じことを言われ続けてしまった。唯一財布に残された千円札を両替機に突っ込んで百円玉を拵え、それらを片手で掴みながら硬貨の投入口に一つずつ入れていく。十枚の百円玉を握りしめ、それらを落とすまいと掌に神経を張り巡らせるようなことは、もしかするとこの先一度もないかもしれない。

一時間が経ち、再びコインランドリーにやってくると、そこには今までみたこともないほど多くの人(といっても七、八人程度)がいる。洗濯が終わるのを待っているのか、それとも洗濯機が空くのを待っているのか。しかしそんなことはわかるはずもない。僕に内緒で引退セレモニーが企画されていたのだ。そんな妄想をしながら衣服を袋に入れていくと、薄いビニール袋が破れてしまう。僕はパンツや靴下を落とすまいと、良い匂いのするかつての汚れ物を抱え込み、一人トボトボと夜道を帰る。

article
ランダム記事
電車でゲルツェンというロシアの思想家の本を読んでいると、隣に六十歳くらいの男性が座ってくる。使い古されたリュックサックを膝の上に置いて、その中から分厚い本を取り出す。帆布のブックカバーで覆われたその本は、どうやら古い本らしく一つひとつの文字の密度も小さい。 他人の本を一瞥して再び読書に戻るも、五分くらいで心地よい眠気に襲われる。本当はここで一眠りできると幸せなのだが、もうあと数駅で乗り換えの駅に着いてしまうので、頑張ってこの眠気を追いやろうとあたりをちらちらと眺めやる。すると先ほどチラと見た隣に座る男性の本の中に「チェルヌイシェフスキー」なる文字があることに気がつく。 チェルヌイシェフスキーはロシアの思想家・小説家である。獄中で書いた『何をなすべきか』という本で、来るべき理想の社会主義世界を描き、それは同世代の、また後続の世代のロシア人に多大なる影響を与えた。 とはいえチェルヌイシェフスキーなる名前は、現代の日本でよく知られているわけではない。まさか山手線でその名前をお見かけするとは思っておらず、ただただ驚いてしまう。たまたま僕の隣に座った人が、どうやらロシアの社会主義(それも革命前の)を読んでいる……! 気になってしまい、もはや隠そうともせず隣人の本を読んでいると、予想通りというべきかそこにはゲルツェンの名前も登場する。山手線でたまたま並んで座った二人が、たまたまゲルツェンに関する本を読んでいる——これは奇跡と言っても言い過ぎではないと思う。 少し前に読んだ掌編を思い出した。アメリカの人々が語るごくごく小さな物語を集めた『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』所収の一編。 兎を飼っている友人の家を訪れた男が、思いつきで「もしこの兎が電気のコードを噛んで感電死したら教えてくれ」と呟く。その兎を夕食として調理したいという悪趣味な冗談だ。 しばらく経って、鉛筆を探しに席を立った友人が奇妙な顔で戻ってくる。本当に兎が感電死したのだという。そして友人は次のように言う。 「あなた、気づいているかしら」と彼女は言った。「あなた、さっきどんな願いでもかけられたってこと?」 「どういう意味?」 「さっき。兎を持って帰って夕食に料理するって言ったときよ」と彼女は言った。「さっきそういう可能性を口にしたでしょ。あれってべつに、兎じゃなくても、百万ドルでも何でもよかったのよ。何を願っても、あなたはそれを手に入れられたのよ。何を願っても、必ず願いが叶う、そう言う瞬間だったのよ」
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

コメント

タイトルとURLをコピーしました