無人のまま引退などできない

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同僚から洗濯機を貰い受けることになったので、引っ越してから三ヶ月あまり、あとはガスコンロを購入すればこれで一通りの家具が揃ったことになる。

そういうわけで、昨日も何度目かのコインランドリーに行ったのだが、おそらくはこれが最後になる。無人の店とはいえ、どこか寂しさを感じないわけでもない。誰もいない店内で、一人衣服を放り込みながら、そんなことを考える。

いつも通り1000円の洗濯コースを選んでボタンを押すと、先にお金を入れてくださいと言われる。結局最後まで同じことを言われ続けてしまった。唯一財布に残された千円札を両替機に突っ込んで百円玉を拵え、それらを片手で掴みながら硬貨の投入口に一つずつ入れていく。十枚の百円玉を握りしめ、それらを落とすまいと掌に神経を張り巡らせるようなことは、もしかするとこの先一度もないかもしれない。

一時間が経ち、再びコインランドリーにやってくると、そこには今までみたこともないほど多くの人(といっても七、八人程度)がいる。洗濯が終わるのを待っているのか、それとも洗濯機が空くのを待っているのか。しかしそんなことはわかるはずもない。僕に内緒で引退セレモニーが企画されていたのだ。そんな妄想をしながら衣服を袋に入れていくと、薄いビニール袋が破れてしまう。僕はパンツや靴下を落とすまいと、良い匂いのするかつての汚れ物を抱え込み、一人トボトボと夜道を帰る。

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夜、國分功一郎の『中動態の世界』を読む。僕たちが当たり前のものとしている「意志」という概念を疑うところから始まり、その曖昧さが文法の規則——能動態と受動態——に端を発するものではないかとの問いを投げかける。かつて存在した中動態という態にこの問題を解決するための鍵を見出していくという本だ。 平易な文章で、好奇心をこれでもかと刺激する切り口からものすごく一般的な概念を考えていくのが面白い。しかしこの本は見かけのとっつきやすさに反して、論じられている内容はかなり複雑だと思う。例えば「言語が思考を規定する」のではなく、「言語は思考の可能性を規定する」という指摘。ゆえに言語中心主義(?)から離れて再び現実の世界を思考の場として設定することが可能となるわけだが、ここでは論がかなり抽象的な次元に入り込んでいる。 哲学的な思考で現実の問題(アルコール依存症とか)を考えていく本だと思って読んでいくと、途中で何を言っているのかわからなくなってしまうような本だ。まあものすごく面白い本であるわけだが。 読書をしていると心地よい睡魔が襲ってきて、そのまま勢いよくベッドに倒れ込んで電気を消した瞬間、その睡魔がどこかへと去ってしまい、じりじりと眠れない夜を過ごしてしまう——完全に覚醒したまま暗闇で色々な妄想をしていると、「眠れない時に寝ようとしないことが大切なんですよ」とかつてテレビで睡眠学者と名乗る誰かが言っていたことを思い出し、諦めて電気をつけて再び本を読む。そうこうしていると、そんなに長い時間が立たずとも睡魔は再び襲ってくるものらしい。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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