無人のまま引退などできない

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同僚から洗濯機を貰い受けることになったので、引っ越してから三ヶ月あまり、あとはガスコンロを購入すればこれで一通りの家具が揃ったことになる。

そういうわけで、昨日も何度目かのコインランドリーに行ったのだが、おそらくはこれが最後になる。無人の店とはいえ、どこか寂しさを感じないわけでもない。誰もいない店内で、一人衣服を放り込みながら、そんなことを考える。

いつも通り1000円の洗濯コースを選んでボタンを押すと、先にお金を入れてくださいと言われる。結局最後まで同じことを言われ続けてしまった。唯一財布に残された千円札を両替機に突っ込んで百円玉を拵え、それらを片手で掴みながら硬貨の投入口に一つずつ入れていく。十枚の百円玉を握りしめ、それらを落とすまいと掌に神経を張り巡らせるようなことは、もしかするとこの先一度もないかもしれない。

一時間が経ち、再びコインランドリーにやってくると、そこには今までみたこともないほど多くの人(といっても七、八人程度)がいる。洗濯が終わるのを待っているのか、それとも洗濯機が空くのを待っているのか。しかしそんなことはわかるはずもない。僕に内緒で引退セレモニーが企画されていたのだ。そんな妄想をしながら衣服を袋に入れていくと、薄いビニール袋が破れてしまう。僕はパンツや靴下を落とすまいと、良い匂いのするかつての汚れ物を抱え込み、一人トボトボと夜道を帰る。

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昨晩まで実家にいて、夜の電車に乗ってアパートに帰る。色々と食べ物とかバスタオルとかを頂戴して、しばらくお金が浮くなと思う。 家族の中では、僕が一番コーヒーを飲む。母親はそれほどコーヒーが好きというわけではないのだが、実家近くにできた焙煎所が気に入っているらしく、たびたび結構な量の豆を買っては飲みきれないからと僕に譲ってくれる。 しかし今回もらったコーヒーは特別なものだ。 ゲイシャ。 芸者とは関係なく名付けられたというこの豆は、コーヒーをガブガブ飲むくせにその種類や味についてあまり詳しくない僕でも知っている。というのもこのゲイシャなるコーヒー、端的に言ってバカ高いのである。喫茶店のメニューの端っこで、他の豆とは格が違うとばかりにキラキラとした枠に囲まれ、なんだかリッチな太字フォントで書かれたその一杯は、1500円などというおよそノンアルコール飲料とは思えない値段で売りに出されている。 母親はゲイシャをついうっかり買ってしまったのだという。焙煎所で試飲した三種のコーヒーの中で一番美味しいと思ったものを、ほとんどその名前も見ずに選択。いっぱい買うとお得だからということで300gを選択した母親は、レジで7000円が提示された瞬間自分の頭がおかしくなった気がしたという。店内は混雑していたし、豆はすでに挽かれてしまっていたから、もう後戻りはできずそのままコーヒーを受け取って店を出たというわけだ。 そのゲイシャを、家族でそろって飲んでみよう。というわけで三が日の中日に、いつもの三倍くらいの時間をかけて丁寧にコーヒーを淹れる。普段は食器棚の奥にしまいこまれたソーサーとカップを取り出し、沸いたお湯を注いで温める。ちょっとぬるくなったそのお湯を使って、ポットからか細い線でお湯を注ぐ。せっかくのゲイシャを「なんか薄いね」などと形容することは断じて許されないので、こまめにその味を確認して、ベストな濃さを追求していく。 ストイックな作業だ。しかし丁寧に入れたそのコーヒーも、僕たちの口内コンディションが最悪では意味がない。そこで数時間前に歯を磨いたはずなのに、再度歯を磨いて水をがぶがぶと飲み、舌を清潔にした上でようやく湯気立ち上るゲイシャを口に注ぎ入れる。 美味しい。浅煎りのフレッシュな酸味が口内を満たし、それが飲み込まれた瞬間豆の柔らかな甘みが立ち上る。 高いものを飲むと、なんだか語彙が膨らんだような錯覚を抱くが、おそらくそれはこの味を的確に表現しなければならないという強迫観念のせいなのだろう。しかしともかく、これは美味しい。家で淹れても一杯4〜500円くらいはするだろうこのコーヒーに、その値打ちがあるかどうかはわからないが、まあ美味しい。こんなものを飲むのはこれが最後かもしれないから、その味と香りを記憶すべく、家族全員であれこれ言葉を尽くしてみたりもする。 そのゲイシャを、三分の一ばかりもらって帰ってきた。かなりありがたい。 正月ももう終わり。良い正月だったと思う。しかしその帰りに一人夜道を歩いていると、社会で成功しているとは到底思えない大の大人が、食べ物をもらったり家族でトランプをしたりするのは本当に正しいのだろうかと考えてしまう。そんな風にひねくれてしまうのも、自分が知らず知らずのうちに競争社会の只中に放り込まれてしまっているからだと思うと、なんともやるせない気分になる。 その競争を勝ち上がった先には、ゲイシャ(あるいは芸者)が待っているのかしら。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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