プルースト創設の大学

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大森のブックオフを一時間ほどぶらぶらと散策していると、『失われた時を求めて』が三冊ずつ全巻揃っていることに気が付く。あとヴァレリーやネルヴァルらの著作も三冊ずつ。合計四、五十冊ほどのフランス文学が、それほど広くもない店舗に並んでいる。

どれも新品同然の綺麗な本で、新刊書店でもなかなかお目にかかることのできない圧巻の光景。こころみに一冊取り出して開いてみると、2023年に東京駅の丸善で買ったことを示すレシートが挟まっている。

本の状態からして、おそらく同じ人が売りに出したものだろうと推測する。しかしその人物について色々と想像をたくましくしてみても、彼/彼女の像はぼんやりとも描かれない。一体どんな人物が『失われた時を求めて』を三冊ずつ購入し、すぐに売却するのか。

京都のブックオフで『新島襄自伝』が何冊も並んでいる光景を思い出す。同志社大学の入学式で新入生に配られるらしいその一冊は、結構な数が古書店に流れ込むことになるらしいとの話をよく聞いた。そこから気ままに連想をしてみると、プルーストが創設した大学が大田区に存することになってしまう。仮にそうだとしたら、跡を継いだ人間(あるいは有能な側近)がうまくやったのだと思う。

そういえばレシートが挟まっていたのだった。勝手な想像は具体的な事物によって早々に棄却されてしまうものだ。

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再発行した免許証を取りに行った。 免許証の再発行なんてしたことがなかったので、まあ近くの警察署に行けば簡単に手続きができるだろうと考えていたのだが、調べてみると試験場に行くしか方法はないらしい。都内には三つしかないから、これは面倒だな、と思う。しかしよくよく考えると更新の際も試験場に行かなければならないのだから、それは至極当たり前のことで、物事を安易な方に考えてしまう自分の性格が垣間見えたような気がして少し嫌な気分になる。 というわけで、先週の金曜日に鮫洲の運転免許試験場に行った。幸運なことに、試験場は通勤途中の駅が最寄りらしい。それにネットで調べると手続きにかかる時間は30〜1時間とのことで、それならば営業時間(この言い方は正しいかな?)ジャストに行けば、余裕で仕事に間に合うだろうと算段する。 朝の自由な時間が削られるのは嫌だが、こればかりは仕方がない。朝起きると急いで顔を洗い、PCを開く。スマホがないから、家にいる間に電車の時間を調べ、試験場の位置を再確認しておかなければならないのだ。出発の時間はすぐそこに迫ってきており、慌てて荷物をまとめて部屋を飛び出す。 小走りで駅に向かう。改札をくぐり抜け、大股で階段を昇って調べどおりの電車に乗り込む。いつも乗る急行だか特急だかと違って、乗客は少ない。えらく快適と思いながら座席に腰を下ろした瞬間、漠然とした嫌な予感が襲ってくる。その曖昧な不安は、「扉が閉まります」という車掌の声が終わるまでに明確な形をとる。 身分証明書を持ってきていない。ネットで調べたところ、なんらかの身分証明書が必要だと書いていたはずだ。あと印鑑とかも。家を出る数分前にはそのことを認識していたはずなのに、顔を洗っている瞬間にすっぽりと記憶から抜け落ちてしまった。 いや、でも住民票は持ってきている。これで突破できるのではないか。しかし常に安易に物事を考えてしまうのが僕の悪癖であり、こうした甘い幻想は常に打ち砕かれてきたという歴史があるではないか。ささやかながら、これは自分を変えるチャンスだということで、車掌の言葉と電車のドアが閉まるまでのわずかな時間に頭をフル回転させた結果、僕はこの電車を降りるという判断を下す。 慌てて家に戻る。朝調べた記憶を思い出せば、家から駅までの往復を全力で疾走すれば、次の普通電車に乗れるはず。無邪気に駆けている小学生の一団を、大人の実力を見せてやるとばかりにごぼう抜きし、息も絶え絶え散らかった部屋に飛び込む。忙しなく身分証明書と印鑑をポケットに突っ込んで再び走り出すと、先ほど追い抜いた小学生たちが僕をキョトンとした目で見ている。 しかしそんなことどうでもいい。こちとら時間がないのである。大人の本気が見たけりゃついてきな、と格好つけた目配せをしてみたが、信号の待ち時間で振り返ったところで小学生の姿はもちろんない。 それはともかく最寄駅のホームに二度目の上陸をしたのだが、お目当ての電車の姿はどこにもない。掲示板を見てみても、すぐにその電車が来る予定はないという。結局26歳の全力疾走空しく、駅のホームでポツンと電車が来るのを待つしかない。これならばコーヒーでも飲みながら優雅に駅まで歩けばよかった。散歩している犬と戯れ合うくらいの時間もあったはずだ。 まあそうして予定から三十分ほど遅れて電車に乗り込み、遅れた時間をそのまま保持したまま試験場に到着。迷わなくてよかったとは思う。申請用の写真を撮り(これは免許用の写真とは違う!)、かじかんだ手で手続きの書類に住所やら名前やらを書き込んで、手数料を支払う。スムーズな流れ。これならまだ間に合うかもしれない、と安易な期待が再燃する。 免許用の写真を撮ってもらうと、再発行準備をするとのことで、試験場の2階に案内される。だーっと並んだ座席に、三十人くらいの人が座っている。試験場の時計を見ると、もう九時十五分。あと十五分くらいでここを出なければ、始業時間に間に合わない。この人数からすると、十五分で免許証が発行されるとは到底考えられない。 免許は絶対に早く取った方がいい。これは僕を社会に繋ぎ止めるための、ほとんど唯一の証明書なのだ。会社に連絡して、「私用のため」少し遅れますと伝えようと考える。しかしよくよく考えると、連絡手段が全くないのである。スマホは紛失して持っておらず、手持ちの電子機器はPCのみ。会社の電話番号は記憶していないし(記憶すべきだとは思う)、どちらにせよ始業前だからかけたところで誰も出ない。 落胆しながら、ささやかな期待を持ってPCを開く。Wi-Fiでもないかしら、とネットワーク環境を探ってみると、フリーWi-Fiらしき文字が目に留まる。怪しいやつかもしれない、と少し不安になるが、ちょっとだけということで接続してみると、ちゃんと試験場のWi-Fiであった。神様は見放さないのね、と目を潤ませながらブラウザを開く。 メールアドレスで登録? ネット環境を持たない僕に、メールアドレスで認証しろと? と、この時初めて気がつく。早朝に全力ダッシュをして取りに戻った身分証明書と印鑑を使う機会などなかったのである。そのタイムロスさえなければ、僕は今頃出来立てホヤホヤの免許証を片手に、社会の構成員として存分に自由を謳歌していたはずだ。 まあそれはともかく、連絡手段を完全に断たれた僕は、その日免許証を受け取るのを断念し、トボトボと会社に向かった。ちょっとだけ遅刻して。 で、発行されたまま金庫に保管されていたその免許証を、昨日取りに行った。こうして僕も社会の一員になったとさ。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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