プルースト創設の大学

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大森のブックオフを一時間ほどぶらぶらと散策していると、『失われた時を求めて』が三冊ずつ全巻揃っていることに気が付く。あとヴァレリーやネルヴァルらの著作も三冊ずつ。合計四、五十冊ほどのフランス文学が、それほど広くもない店舗に並んでいる。

どれも新品同然の綺麗な本で、新刊書店でもなかなかお目にかかることのできない圧巻の光景。こころみに一冊取り出して開いてみると、2023年に東京駅の丸善で買ったことを示すレシートが挟まっている。

本の状態からして、おそらく同じ人が売りに出したものだろうと推測する。しかしその人物について色々と想像をたくましくしてみても、彼/彼女の像はぼんやりとも描かれない。一体どんな人物が『失われた時を求めて』を三冊ずつ購入し、すぐに売却するのか。

京都のブックオフで『新島襄自伝』が何冊も並んでいる光景を思い出す。同志社大学の入学式で新入生に配られるらしいその一冊は、結構な数が古書店に流れ込むことになるらしいとの話をよく聞いた。そこから気ままに連想をしてみると、プルーストが創設した大学が大田区に存することになってしまう。仮にそうだとしたら、跡を継いだ人間(あるいは有能な側近)がうまくやったのだと思う。

そういえばレシートが挟まっていたのだった。勝手な想像は具体的な事物によって早々に棄却されてしまうものだ。

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山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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