くるりを聴きたい

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言葉は転がり続け 思いの丈を通り越し

うまく伝わるどころか 掛け違いのボタン 困ったな

20歳の頃。

志望する大学に合格せず、孤独を自分勝手に抱え込み、図書館で一人受験勉強をしていた時期があった。家族以外とは誰とも会話せず、Twitterを眺めて悶々とする。かつて同じ場所にいた人間はするすると人生を先に進んでいるようで、彼ら彼女らの姿と自分の現状との落差に情けなさを覚える。

そんな時期に、くるりを聴いた。たくさんの期待、というより妄想とともに。

雨の降る中びしょびしょに濡れたリュックを背負い、市バスに乗り込んでアルバイトに向かう。布団を敷いて寝る準備を整えた瞬間に電話が鳴り、「寝るつもりだったんだけど」と愚痴を吐きながら缶ビールを買って友人宅に自転車を飛ばす。

受験勉強しかすることのない20歳の僕にとって、幾分フィクションめいたこうした想像上の日常の一コマは、あまりにも夢物語であった。そのささやかな妄想を、僕はくるりを聴きながらひとつひとつ濃密なものに変えていく。ある一時期、僕の三分の一くらいはくるりのメロディーとともに夢想の京都に暮らしていたのだ。

退屈を掘り起こす
日記をサボってしまった。でもまあそんなに気にしすぎないようにしよう。純度100%の継続を目指してしまうと、わずかな失敗も受け入れがたくなってしまうから。三連休は京都に行った。金曜の夜に職場から直接新幹線に乗り込み、友人の家に荷物を預けて村屋...

先日くるりの主催する京都音楽博覧会に行った。それもあってか、少しの間意味もなく遠ざけていたくるりを再び聴こうと思ったのだが、10月は二曲しか聴いてはならない縛りを勝手につけたことを思い出し、頭の中で演奏を再現したり、人気のない道で小さくメロディーを口ずさんだりしている。

真夜中のサウナ場で
つい先日の日記で同じ曲しか聞かない月間にすると誓ったのだが、4回くらい連続で聞いているとやはりちょっと別の曲が聴きたくなってしまう。こうした飽きっぽいところが僕の弱点で、そのせいで何につけ能力を身につけることができないことは薄々感じている。...

自分で歌を歌ってみると、単に聴く以上にその歌詞が頭の中に滞留するような感覚がある。その中で僕は、『奇跡』という曲の歌詞と再び出会いなおした。

かつては単に京都を代弁する曲であったこの曲の歌詞が(それは僕がテクストをあまりにも自分に引きつけて解釈していたからにすぎないのだが)、今では純粋な言葉となって僕の耳に届く。

僕は今、人とコミュニケーションをとることが苦手なことを改めて痛感している。そのせいで色々なことがうまく前に進まないような感覚を幾度となく覚えているのだけれど、その葛藤とか苦しさみたいなものが、一番好きなはずの曲の歌詞に、こんなにも素直に書き込まれていたことに驚く。

意図や思いが伝わらないこと。僕がこれから取り組むべきことは、誰しもが多少なりとも感じる「伝わらない」という感覚を、伝達という目的を超えた言葉の中で具現していくことなのだろう、と考えたりする。

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ポンコツゆえに少し残業をしてしまい、時間的にも気力的にも自炊をする気にならないので、弁当でも買おうと思いスーパーに立ち寄る。 半額弁当を期待するものの、棚はもうスカスカ。残っているのは空豆の天ぷらや焼き豚など、おつまみにしかならなそうなものばかり。インスタントラーメンに野菜でも入れるか、と食べたいものと実際に作ることのできるもののちょうど中間を探り当てるべく頭を悩ませていると、ふと良い考えが浮かぶ。 パック寿司だ。 閉店間際で安くなったパック寿司を、高級寿司店の紹介動画を横目にパクパクと食べよう。僕が昔からよくやっている(そしてよく言及している)ライフハックの一つだ。 とはいうものの、弁当が売り切れている時間にパック寿司が売られている保証はない。むしろ弁当と同列のものとして、あの冷蔵棚も綺麗さっぱり空っぽになっているに違いない。 そう思いながらのんびりとスーパーを一周し、少しばかりの野菜と果物をカゴに入れて寿司のある場所に向かう。 ずらっと並ぶ寿司たち。1100円の寿司が半額。600円の寿司は三割引だ。 さてどうしようか。疲れ切った頭であっても、前者は550円、後者は420円であることくらいわかる。いつもなら確実に前者を選ぶ(僕の悪いところはこういうところにある)のだが、目を凝らして見てみても、両者の違いはあまりわからない。 お得感に負けて散財をする悪癖とはもう卒業しよう。そう考えて安い方をカゴに入れてニンマリとする。上手に節約ができた時の気持ちよさは何にも代え難い。 閉店間際ということもあってか、レジ打ちをしている店員が少なく、稼働している二つのレジの前には長い列ができている。今日は洗濯もしなければならないので早く帰りたいと思うが、こればかりは仕方がない。 列が進むのをじっと待ちながら、手持ち無沙汰の人間を釣るための商品に目をやる。騙されてはいけない。1100円(550円)の寿司に対する欲望に打ち勝ったのだから、ここでスーパーの戦略に乗せられるわけにはいかない。ビーフジャーキーなんて食べたくないさ、と自分に言い聞かせながら、ひたすらに待ち続ける。 ふと向けた視線の先に、西洋わさびが110円で売っている。確かに安い気がする。昔見たイタリアンの動画で、オリーブオイルに西洋わさびを溶いてちょっと醤油を垂らしたドレッシングの紹介があったことを思い出す。あれは美味しそうだったな。パリッと新鮮なレタスとトマトにかけて食べたら最高だろうな。 いけない。このカゴには新鮮なレタスもトマトも入っていないし、冷蔵庫にある野菜はニンジンだけだ。西洋わさびを使う機会なんてしばらくやってこない。使わないものをカゴに入れさせるのが、小売店の憎たらしい戦略であることくらい十二分に承知しているではないか。 しかし。 今カゴに入っているパック寿司。この寿司に、わさびは入っているだろうか。わさびも醤油も入っていない寿司を握らされてイラッとしたのは、この街に住み始めてからのことではなかったか。 西洋わさびの横に、ちょっといいやつっぽいわさびも並んでいる。280円。パック寿司を美味しく味わうために、わさびの力を借りたい。むしろ新鮮さから遠く離れた割引済みの寿司をごまかすためにも、わさびくらいはちゃんと美味しいものを付けたい。 列はどんどん進んでいく。さっきまで動きがなかったのが嘘のようだ。ああ。早く決断しなければ——。 寿司にはわさびをつけた方がうまい。洋風わさびなんて使うのは西洋かぶれだ。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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