新しい生活習慣

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生活のリズムを変えてみようと思い、日記を書く時間を朝に変更してみる。引っ越しをして職場が近くなり、通勤に使っていた時間が空いたから、という理由もある。


部屋に机が届いた。それなりに大きい。引っ越し直後の部屋、という印象から脱却するためには、あと電子レンジと洗濯機を買えば良い。ついでに段ボールにしまいこまれたままの文庫本やら漫画やらを収納する本棚も。

机の上の配置を決める。モニターを中央奥に置き、その前にPC。右方にはブックスタンド。欲を言えばモニター左にパソコンを置きたい。PCスタンドがほとんど無意味になっているという理由もある。ちょっと高価なキーボードでも購入し、今PCを置いている位置に置く。ノートパソコンをキーボード代わりに使っているのは、やはりあまり美しい構成ではない。

とはいえ、特段不便ということもないのだから後回し。配線整理とか、やり出したらキリがない領域にも考えが及ぶが、泥沼が待っているような気もするし、別にコードが絡まっていようがそれほど問題はないので後回し。

部屋をよりよく見せるための工夫にばかり気が回ってしまうのは、久々の一人暮らしでウキウキが抑えきれていないからかもしれない。大学一回生、初めて一人暮らしを開始した四月に、風呂掃除キットより先にコーヒーミルを購入したことを思い出す。ティッシュケースとかはしばらく経って余裕が出てきたら買えばいいし、経験上そうした工夫は数ヶ月で無意味な投資であったことが判明するのだから。


散歩をした。一応シャンプーを買いに出かけるのが名目。小さな公園で、三人組のおばあちゃんがヤンキー座りをして談笑していた。

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言葉は転がり続け 思いの丈を通り越し うまく伝わるどころか 掛け違いのボタン 困ったな 20歳の頃。 志望する大学に合格せず、孤独を自分勝手に抱え込み、図書館で一人受験勉強をしていた時期があった。家族以外とは誰とも会話せず、Twitterを眺めて悶々とする。かつて同じ場所にいた人間はするすると人生を先に進んでいるようで、彼ら彼女らの姿と自分の現状との落差に情けなさを覚える。 そんな時期に、くるりを聴いた。たくさんの期待、というより妄想とともに。 雨の降る中びしょびしょに濡れたリュックを背負い、市バスに乗り込んでアルバイトに向かう。布団を敷いて寝る準備を整えた瞬間に電話が鳴り、「寝るつもりだったんだけど」と愚痴を吐きながら缶ビールを買って友人宅に自転車を飛ばす。 受験勉強しかすることのない20歳の僕にとって、幾分フィクションめいたこうした想像上の日常の一コマは、あまりにも夢物語であった。そのささやかな妄想を、僕はくるりを聴きながらひとつひとつ濃密なものに変えていく。ある一時期、僕の三分の一くらいはくるりのメロディーとともに夢想の京都に暮らしていたのだ。 先日くるりの主催する京都音楽博覧会に行った。それもあってか、少しの間意味もなく遠ざけていたくるりを再び聴こうと思ったのだが、10月は二曲しか聴いてはならない縛りを勝手につけたことを思い出し、頭の中で演奏を再現したり、人気のない道で小さくメロディーを口ずさんだりしている。 自分で歌を歌ってみると、単に聴く以上にその歌詞が頭の中に滞留するような感覚がある。その中で僕は、『奇跡』という曲の歌詞と再び出会いなおした。 かつては単に京都を代弁する曲であったこの曲の歌詞が(それは僕がテクストをあまりにも自分に引きつけて解釈していたからにすぎないのだが)、今では純粋な言葉となって僕の耳に届く。 僕は今、人とコミュニケーションをとることが苦手なことを改めて痛感している。そのせいで色々なことがうまく前に進まないような感覚を幾度となく覚えているのだけれど、その葛藤とか苦しさみたいなものが、一番好きなはずの曲の歌詞に、こんなにも素直に書き込まれていたことに驚く。 意図や思いが伝わらないこと。僕がこれから取り組むべきことは、誰しもが多少なりとも感じる「伝わらない」という感覚を、伝達という目的を超えた言葉の中で具現していくことなのだろう、と考えたりする。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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