神田でジンギスカンを食べる

article

仕事終わりに寮に住んでいた頃の後輩とお酒を飲んだ。なんとなく神田で、ジンギスカンのお店に入る。

やはり生活の中に談話室が欲しいと思う。たまたま居合わせた友人と喋ったり、自分では絶対に選ばない漫画を読んだりする緩やかな時間が恋しい。それはかつての生活が既に思い出となったから覚える感慨なのかもしれないけれど、やはりその時間を共に過ごした人と再会すると、それだけではないと思う。

そういえば寮のイベントでジンギスカンを食べる会があったのを思い出した。100人くらいの人が集まっていた気がする。火力が弱くてなかなか肉が焼けず、そのくせ腹をすかせた若者が集まっているから、十分で一切れくらいしか食べられなかった。氷水の入ったゴミ箱みたいな大きな水色の入れ物に、ビールやらほろ酔いやらコーラやらの飲み物が浮かんでいて、僕たちはガヤガヤと無意味な会話を無分別に繰り返し続ける。なつかしい。

学生の人間関係は変転を繰り返すから、部外者の僕が記憶の中で固定した相関図はもう現実のものではないのだろう。

いろんな話を聞いた。みんなそれぞれの道で頑張っている。僕も頑張れねばと思うが、仲間が欲しい。偶然生涯の相棒を見つけるようなイベントは、この先僕の身に起こるのだろうか。

article
ランダム記事
MIYASHITA PARKの中に渋谷横丁というフードコートがあって、ちょっとその横を歩いてみる。きれいになった上野というか、画一化されたゴタゴタみたいな趣のある一帯。23時近くだったので閉店準備を進めているお店が多く、飲み会終わりの記念写真を撮っている人たちがたくさんいた。 無数の声が潰れて雑音と化す騒がしさの中で、ふと「死んだ人間の臭いを嗅いでみたい」という言葉が聞こえてくる。驚いて振り返ってみると、どちらかというと静かに飲んでいる男たちの一人が発言したらしい。立ち止まってその会話を聞いてみたかったが、それはあまりに不審だから歩みを止めることはできない。酔っ払いが集まる空間は不思議な言葉で溢れているものだと思う。 横丁の入り口では、まだ未成年くらいの若い男たちが戯れあっている。その彼らに対して「渋谷区は禁煙です」と絶えず繰り返す声を差し向ける大人の姿。その奥はスーツを着た男が倒れ込んで、地面に顔を埋めていた。空間自体は規格化されていようとも結局人が集まればゴタゴタとした混沌がやってくるのだと思うと、世界は捨てたものではないと思う。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

コメント

タイトルとURLをコピーしました