モニターを買って柄谷の『力と交換様式』を読んでWordPressでサイトを公開した1日

article

写真はロシアの街並み。別に画像なんて用意してなかったから、昔Noteに書くときいつも挿入していたこの画像を貼ってみた。理由は特にない。縦長なのがちょっと嫌。

勢いでWordpressを始めてしまった。始めたからには立派なものにしたいと思う。けれどもそうやって力んでしまうせいで、いつも物事を習慣化できずに二歩目くらいで躓いてばかりなのだ。

というわけで、記念すべきサイトの初日記を、ほとんど何も考えずに書いている。構成なんかをし始めたら明日には日記を書いていないに違いないのだから。

今日の振り返り

今日はAmazonでモニターを購入した。これ。

と、Amazonのリンクを貼ろうとした。よくサイトとかで見る広告(?)みたいな感じに。しかしうまくいかない。調べてみると、どうやらAmazonアソシエイツとやらに登録しなければならないらしい。しかもそれなりに審査は厳しいらしい。

というわけで、モニターについては秘密。いや、秘密にする必要はないから商品名だけ書くと、「Dell S2721QS」というモニターを買った。結構高い。あとで機能不足を感じて買い替えるのが嫌だから買ったわけだが、昔からそうした背伸びばかりしている気がする。まあいいや。このサイトをとっとと最強に育ててAmazonアソシエイツに登録し、アホみたいな広告収入を挙げて元を取ってやる、と十二分の大人が夢想したところでこの話は終わり。

で、今日はモニターを選ぶのにだいぶ時間をかけて、気がつけば午前を溶かした。とはいえ三連休初日二日目の溶かし方は尋常でなかったので、まだマシ。そう、今日は三連休の最終日。明日は仕事だし、これを書いている今はもう23時近くで本当に鬱。風呂もまだ入っていない。

午後は友人と柄谷行人の『力と交換様式』を読む。読書会自体はまだ二回目で、少しずつ要領をつかんできたかな、というところ。これについては真面目に他で書く。交換様式Dは、交換様式Aの高次元の回復である。とは。まあ結構説明が繰り返しだったりして読みやすいとはいえないけど、面白い。読書会じゃないと読みきれていなかったと思う(まだ第一章を読み始めたばかりなのだけれど)。

で、飽きてWordpressを調べたりいじって遊んでいたら、もう夜。暗。明日仕事嫌だなあ。

本当はこの三連休で、論文執筆を前に進めなければいけなかったのだけれど。まあ、よしとしよう。頑張ろうね。明日は川上未映子の『夏物語』を読む。ジメジメした夏ですね。

【追記】貼れた。けどなんかおかしいので、ちょっと調べてみます。

article
ランダム記事
昨晩まで実家にいて、夜の電車に乗ってアパートに帰る。色々と食べ物とかバスタオルとかを頂戴して、しばらくお金が浮くなと思う。 家族の中では、僕が一番コーヒーを飲む。母親はそれほどコーヒーが好きというわけではないのだが、実家近くにできた焙煎所が気に入っているらしく、たびたび結構な量の豆を買っては飲みきれないからと僕に譲ってくれる。 しかし今回もらったコーヒーは特別なものだ。 ゲイシャ。 芸者とは関係なく名付けられたというこの豆は、コーヒーをガブガブ飲むくせにその種類や味についてあまり詳しくない僕でも知っている。というのもこのゲイシャなるコーヒー、端的に言ってバカ高いのである。喫茶店のメニューの端っこで、他の豆とは格が違うとばかりにキラキラとした枠に囲まれ、なんだかリッチな太字フォントで書かれたその一杯は、1500円などというおよそノンアルコール飲料とは思えない値段で売りに出されている。 母親はゲイシャをついうっかり買ってしまったのだという。焙煎所で試飲した三種のコーヒーの中で一番美味しいと思ったものを、ほとんどその名前も見ずに選択。いっぱい買うとお得だからということで300gを選択した母親は、レジで7000円が提示された瞬間自分の頭がおかしくなった気がしたという。店内は混雑していたし、豆はすでに挽かれてしまっていたから、もう後戻りはできずそのままコーヒーを受け取って店を出たというわけだ。 そのゲイシャを、家族でそろって飲んでみよう。というわけで三が日の中日に、いつもの三倍くらいの時間をかけて丁寧にコーヒーを淹れる。普段は食器棚の奥にしまいこまれたソーサーとカップを取り出し、沸いたお湯を注いで温める。ちょっとぬるくなったそのお湯を使って、ポットからか細い線でお湯を注ぐ。せっかくのゲイシャを「なんか薄いね」などと形容することは断じて許されないので、こまめにその味を確認して、ベストな濃さを追求していく。 ストイックな作業だ。しかし丁寧に入れたそのコーヒーも、僕たちの口内コンディションが最悪では意味がない。そこで数時間前に歯を磨いたはずなのに、再度歯を磨いて水をがぶがぶと飲み、舌を清潔にした上でようやく湯気立ち上るゲイシャを口に注ぎ入れる。 美味しい。浅煎りのフレッシュな酸味が口内を満たし、それが飲み込まれた瞬間豆の柔らかな甘みが立ち上る。 高いものを飲むと、なんだか語彙が膨らんだような錯覚を抱くが、おそらくそれはこの味を的確に表現しなければならないという強迫観念のせいなのだろう。しかしともかく、これは美味しい。家で淹れても一杯4〜500円くらいはするだろうこのコーヒーに、その値打ちがあるかどうかはわからないが、まあ美味しい。こんなものを飲むのはこれが最後かもしれないから、その味と香りを記憶すべく、家族全員であれこれ言葉を尽くしてみたりもする。 そのゲイシャを、三分の一ばかりもらって帰ってきた。かなりありがたい。 正月ももう終わり。良い正月だったと思う。しかしその帰りに一人夜道を歩いていると、社会で成功しているとは到底思えない大の大人が、食べ物をもらったり家族でトランプをしたりするのは本当に正しいのだろうかと考えてしまう。そんな風にひねくれてしまうのも、自分が知らず知らずのうちに競争社会の只中に放り込まれてしまっているからだと思うと、なんともやるせない気分になる。 その競争を勝ち上がった先には、ゲイシャ(あるいは芸者)が待っているのかしら。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

コメント

タイトルとURLをコピーしました