都市開発

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コーヒーの粉の分量を測るためのメジャースプーンを持っていないから、ここ二日はなんとなくの分量で淹れるのだが、なかなかどうして薄くなってしまう。ケチなのに突発的に散財してしまうという人間として最も醜い性質を持っているのかもしれない、と朝から暗い方向へと考えが広がっていく。

コーヒーはたくさん飲みたいが、粉を消費するのは嫌だという無意識。スプーンさえあれば適当な分量はわかるから、その無意識を押しやって自分なりの美味しいものを作ることはできる。しかしそうした秤のようなものなしに自分を律することはやはり難しい。まあこれも慣れなのかもしれないが。今日こそ帰りにメジャースプーンを買う。


一人暮らしをすると、どうしても堅実な生活より先に洒落た生活を目指してしまう。掃除機よりプロジェクター、歯ブラシをいれるコップよりプラネタリウム。部屋の一部だけが立派になっていき、そのツケが押し入れの中に詰め込まれていく。これは都市開発の縮図だな、と思う。

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出張で大阪に行った。本当は前日から京都で遊ぼうと思っていたのだが、どうもテンションが上がらず当日の新幹線に乗る。 品川駅を使ったのはこれが初めてだ。東京駅に随分と慣れてしまっているので、改札をくぐり抜け、階段を降りた先にプラットホームがあるのに慣れない。エスカレーターで昇っていくあの浮遊感が、ちょっとした長旅の期待感を高めてくれるのだと初めて気がついた。しかしそれはこれが旅行ではなく、あくまで出張であるからなのかもしれない。 帰り。新幹線のチケットを買うと、区内で使える乗車券がついてくる(ついてこないように買うことは可能なのか?)。しかしなんやかんやそれをうまく使えたことがなく、ものは試しということで、品川駅から大森までJRに乗ってみる。時間とか歩行距離とかを考えるとJRに乗る理由は全くない。まあどうしても本屋に行きたかったのに、品川駅の近くにある本屋が駅到着時間ちょうどに閉まってしまう、という理由もあった。 本屋に行きたい理由はいつも無理やり拵えたもので、本当のところはただ行きたいだけ。昨日拵えた理由は、この前出版された『構造と力』の文庫版を買うというもの。しかし本屋に行ってちらと件の本を立ち読みし、あたりをうろちょろしているうちに買いたいというモチベーションがなくなってしまう。 僕はそんなに思想に強いわけではない。強いていうならベルクソンを関心のベースにしているだけなのだが、最近は計画なく本を乱読するのに飽きてしまっているというか、自分の専門性をどこかで持たなければならないという強迫観念のようなものがあって、それで新しい本に手を出すのに少し臆病になってしまった。ベルクソンの『記憶理論の歴史』という講義録が置いてあり、とても惹かれる。しかし今日買ったところですぐには読まないだろうということで、結局なんの本も買わずに本屋を出る。 初めて降りた駅から、歩いて家に帰る。しかし諸般の事情で、今僕はスマホを持っていない。駅の地図を見ながら恐る恐る大きな道を道沿いに歩いていくと、すぐに知った景色が見えてくる。 すぐに情報を知り得ないことに、臆病になりすぎていると思う。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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