ちゃんとした勉強

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新しく出た美学の入門書を数日前に読み終えた。

著者はバウムガルテンに関する著作で博士論文を書いた、井奥陽子さん。市民講座の講義をもとにした新書とあって、語り口も柔らかでとても読みやすい。

本書を通して一貫しているのが、美学にまつわる様々な概念が成立する過程を、「AからBへの移行」として捉えている点だ。一つ例を挙げれば、芸術家という概念は「職人から天才」へとその力点が転換したものとされる。芸術家=天才という定式が当たり前になっている現代という時代は、この思想史的な流れを意識することで相対化される。


この本を含め、美学にまつわる入門書を三冊くらい読んでみようと思っている。そのまとめも一つの記事にして公開したい。

しかしこの本にバウムガルテンの名が全く出てこないのにはびっくりした。ど専門を外した、ストイックな著述。なかなか興味深いですね。

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今日の話ではないのだけれど(それは日記なのか?)、仕事終わりの電車の中で、乗客同士が揉めている瞬間に出くわした。 最近は耳栓の代わりに音楽を流さずにイヤホンをつけているから、ちょっとくぐもった感じのその音が怒声であることに少しの間気が付かなかった。なんだろうと辺りを見回してみると、乗客は揃って視線をぼんやりと宙に浮かし、無関心であるという点でのみ結びついた団結感を漂わせている。 どうやら優先座席に座っている60歳くらいの男性が、その隣に座っている40代くらいのサラリーマンを叱っているらしい。 「お前、よくこう言われるだろ」「だからみんなお前のことが嫌いなんだ」 こうして文字起こししてみると、知り合い同士で何やら揉め事が起こっているように見える。しかしその声色からして、これは車内で突発的に起こった喧嘩であるらしい。 僕は他人が起こっている様子を見るのが好きだから(もちろん関わりがないことが前提)、ちょっとにやついたまま、その怒りに震える声に耳を澄ませる。乗客の多くは男が声を張り上げた瞬間にそそくさとその場から離れるから、野次馬である僕の視界も開けてくる。 五分ばかり様子を伺っていたのだが、何が原因で彼が憤っているのか、さっぱりわからない。手がかりすら掴めないのだ。というのも、その叱責はほとんど指示語ばかり。言い返しの声も聞こえてこない。ほとんど一方的に、「そんな風」とか「そんな奴」とか言われ続けている。 まあ最終的に、その男は捨て台詞を吐いて電車を降りた。だから喧嘩の原因もわからなければ、この日記にオチがつくこともない。ただ座席に残されたサラリーマンの沈んだ顔はよかった。大の大人が、本当に意気消沈、というかグデーっと力尽きて、その疲弊を全身で表現している瞬間などなかなかお目にかかれるものではない。お疲れ様です。  父親がよく話してくれるエピソードがある。 電車内で、些細なことから年上の男と大喧嘩になる。長い時間やり合っているうちに、車内で声を張り上げるのも迷惑だからということで、適当な駅で降り適当な居酒屋に入る。そこで激論を交わしていくうちに、だんだん「お前もなかなかやるやんけ」的な感じに意気投合。話題が喧嘩から離れ、仕事の話とかになっていく。そこで互い共通の親戚がいることが発覚する。 つまり親戚同士が偶然同じ車両に乗り合わせ、そこでお互いのことを気に入らないと思ったことになる。 喧嘩から始まる関係性というものもあるらしい。とはいえその親戚とその後親しく付き合ったという話を父親から聞くこともないから、やっぱりそうでもないのかもしれない。 まあ本当に結論がない。まあみなさん勢いよく喧嘩してください。喧嘩が始まったら僕にご一報をお願いします。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

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