流れる文字に時間を取られ

article
年末なので、まとまった休日に入る。今年のハイライトは、やはりスマホ財布鍵紛失事件であろうか。 スマホを失くした僕は、この状況を好機と捉えるべく、あえてスマホを買わないという選択を取ることにした。スマホがあることの便利さを再確認したいという思いもあるし、スマホがあるせいで失った時間を取り戻そうとしているともいえる。まあスマホがないという確固たる事実を良いように捉えなければ、僕が失ったものはなかなか大きくて堪え難い、というのが本当の理由である。 もちろんそのせいでLINEも見られないし、集合場所にきちんと行くためには家を出る前に入念な下調べが必要である。結構面倒ではあるが、案外なんとかなる。というより、連絡が来ないのでなんとかなっているのかを判定する方法がほとんどない。絶対に無視している連絡もあるし、忘れている約束もあるだろうが、それを確認する術がない。 しかし年末である。年の瀬である。各地に散らばった人間も、この期間になれば皆お祭り騒ぎ。久方ぶりに連絡をとってみようか、といつもならば躊躇ってしまうような連絡も、ほんのり回り始めたアルコールが煽り立てるままいきおい送ってしまう季節である。 そう。 僕のスマホには甘酸っぱい連絡が届いている! これは信じていいことなんだよ。なぜって—— ちょっと飽きてしまった。日記でこんなふうに書くと疲れるからやめよう、と誓ったはずなのに。

翌日が休みであることにかまけて夜からずっとこのサイトをいじくり回していた。

テキストが横に流れてくる機能をつけたいなあと思っていたので、せっかく時間もあるしささっとやろうと思ったら、結構時間を取られてしまう。あれをやればこれがダメになり、どこまで戻れば良いのやら……と頭を悩ます繰り返し。

もともとはPOPEYE Webみたいに、テキストが滑らかに流れてくるようにしたかったのだが、僕の技術ではどうやっても文章が途中でぶつ切りになってしまう(スクショを撮っておけばよかった)。

それで諦めて一文字づつコマ送りのようにして流すことにしたのだが、フォントがどうも気持ち悪い。ならば電車の中みたいにドット風に仕立てればいいと気がつくのにだいぶ時間がかかる。

結構疲れた。なにせ僕はエンジニアではない。こういう風にすればできるかなと思ってChatGPTに投げてみて、それを延々と修正していく作業だ。まあ楽しかったから結構長い間没頭できたわけだが、休日前の一日(と休日本体)を使うには、ちょっと疲労が大きいかもしれない。


まあ記事の中からランダムに一つの投稿を選び出し、その本文を表示する機能です。普段はトップページに置いてあるのでぜひみてね。

article
ランダム記事
午前中に『砂の器』を見て、午後からは川崎にビクトル・エリセの『瞳をとじて』を見にいく。 映画の開演までに時間があったので、ブックオフを冷やかしに行くと、ワシーリー・グロスマンの『人生と運命』の第一巻が四冊くらい売っている。在庫が余っているのか、元の値段の半額くらいまで値引きされていて、ちょっと不思議な気持ちになる。この在庫の多さはほとんど村上春樹みたいだ。それにこの分厚い小説はスタッフオススメの自己啓発本、みたいなエリアに並んでおり「効率よく頭を使うってこういうことなんだ!」みたいなPOPがついている。このずれ方は面白いと思って写真を撮ろうとするが、無闇に本屋の棚を撮るのはあまり好ましくないと思い直してやめる。 ブックオフの入っている商業施設のエスカレーターで、偶然中学生くらいの男子二人と目が合う。急にニヤニヤとし始めた彼らが、どんな悪口を僕に言っているのか想像してみたりするが(「髪ボサボサ」、「丸めがね似合ってない」等々)、この野球部的な街で出会う中学生はあまりよい記憶を喚起しないので忘れることにしたい。が、多分できない。 エリセの新作。冒頭の劇中劇がかなり長い会話で、その時点でかなりうとうとしてしまい、少し不安になる。それだけでなくこの映画ではどの会話も省略されることなくグダグダと続くのだが、しかし物語の中盤でそれこそが一つの主題系をなしていることがわかると急に面白くなってくる。 編集される会話/編集されない会話。切り取られる会話/切り取られない会話。前者が映画で後者が人生だと言ったら退屈な二分法にすぎないが、そのバランスをとろうと格闘することこそがビクトル・エリセの映画/人生なのだろうと思うと、かなり泣けてくるものがある。
山口宗忠|Yamaguchi Munetada

コメント

タイトルとURLをコピーしました